2014年8月19日火曜日

普通と違う能力を手にするには、普通と違う生活をすること

私は普通を求めて小4の時に慢性的不登校からの脱却を決意して、事実、中2の2学期まではいじめ・疎外等に遭っても不登校にならなかった。
慢性的というのも、幼稚園の年中さんの頃から卒業(した扱いがあるかも疑わしい)にかけて不登園であったことに起因しており、以降しばしば不登校になったからだ(過去記事参照)。
結局は普通の生活を求めて、親を不安にさせたくなくて、自分なりの精一杯を尽くす思いで今までとは明白に違って頑張ったが父親だって理解はしなかったし、母親のところに家出もして普通になるなんて到底ムリだった。

そんな俺は今、普通の人と違う生活で普通と違う様々な能力を身に付けてきた。
常人に真似できない髪の長さこそ最たるものだ。
髪が私の人生をも表し、ネット活動の上で大きな意味を持つ。
普通の生活をしていれば当然この長さの髪など邪魔でしかなく不要だろう。
普通じゃない私には必要不可欠だし、あの憧れのキャラクターのような長さに及ばない現状に満足いってさえいない。
今月で、最後に髪を切った2010年8月から4年になり、当時でも長くて10cmほどだっただろうが、未だ長くて70cmのまま。
目標はこの約2倍なので次の3年じゃまだ足りないだろう。
今の倍やり過ごせと言いたいのだ。
髪が長くなるに伴って抜け毛が多くなることが一番不安だがね。
強制断髪とかも怖い(複数の漫画で黒髪ロングから極度に異なる髪型にされるシーンを見た)。

私には永い先の目標があるが、生きていて大事なければ自ずと至る地点であろう。
思えば4年前はかろうじて学校へ通えていたものだ。
これからの4年間は、年齢的な意味で子供の素振りはしていられない。
私は「10代の日本人男性では一番髪が長い」と自負しているが、3年の猶予は長いか短いか。
上のような自慢もできなくなる。
女の子でもいいから年下で私より髪の長い子はいないもんかね。


この記事のタイトルに類する有名な言葉を、哲学の巨匠たるサルトルはこう述べた。
「神々と肩を並べるには神々のように残酷になること」
似たような言葉→「毒をもって~」「虎穴に入らずんば~」
前者・・・アレにはアレを用いる手段で挑め 後者・・・アレを為すにはアレをする必要がある

私の場合普通じゃない生活をしてきたけど、その結果どうなるというのは案外個人差ありで、定まらないと思った。


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