2014年10月14日火曜日

常に「何かしなければ」という悩みが頭を擡げる

酷いときは、ひたすらこの悩みだけが頭を廻り、懊悩に終始している。
先ほどそんな状態だったからこそ、今この記事を執筆しているのだ。
そんな時のその意識は、漠然と「何かをやらないといけない」ということだけが付きまとって、大した進展もないのである。

このところ1ヶ月以上はこんな風に「何かをしなければ」とばかりが浮かぶ。
案ずるならば、些細でも行動した方がいいんだけど、結局無駄に時間が流れるだけで。

私がしたい「何か」とは、概ね「活動三本柱」あたりだ。
音楽はこのところ自信喪失気味だったりする、作曲に向き合ったところで進ませると「俺にはもうできない」となって少し続いたほどで投げ出してしまう。
絵に関しては最近も頑張ってる方だが、毎日頑張りたいと思うことが裏腹に、どうにも描こうということもなければ己を強く責めてしまうのである。
なので頑張ってると言ったところで、毎日打ち込めるかといえば不可なのである。
動画は、気が向いた程度にマイペースでもいいと割り切ってるから無問題。
それどころか数ヶ月以上前より幾分ペースも良好だ。

何といってもブログ記事や作文の類いは、このブログで云えば4日連続で記事を投稿してるし、本家でも2ヶ月以上前よりやや速めのペースで投稿できている。
そんなこんなで今日も頑張ってこんな記事を書いているのだ。


本題の悩みに関してだが、それが強く付きまとうなら非生産的かもしれない。
あんまり責任感が強い今の私だが、教え導く恩師というものに乏しい。
己の知る手法を実践するだけでは心許ない上に、よりよいやり方であろう手法を知ってても己の判断で渋るならば、それこそ恩師に頼って恩師に教えを仰ぎ、それに基づき実践することがよい。

更に言えば、やはり研鑽には鼓舞してくれる励ましとなる側面も持ち合わせる必要があるのだが、私は俄かに沸いてきた自信が研鑽・活動の士気を高揚させているのである。
なので、直近1ヶ月は数ヶ月以上前より溌剌としているはずだが、死期の近い人間が最後の余力を振り絞っている醜い状況、そんな取り方もできなくもない。

事実、私の食や免疫に関するものは80歳前後の人間に近いものがある。
40を越えた人間がひえひえの牛乳をなみなみ注いで、がぶがぶと2杯も飲み干したり、ましてや70前後の人間で500mlの炭酸飲料を一日に数本飲んでる猛者をも見て驚きだ。
私にはそれらの3分の1程度でないと気が進まない(短時間でそれだけの牛乳は胃が冷えるし、炭酸も普通に飲めば1本でも胸焼けが酷い)。
体調面では当然だが、まあそんなに多量を短時間で摂るのは経済面にも・・・

経済面ね。私はこの活動を常々「慈善活動・非営利・無収益」と称している。
無賃労働!タダ働き。酷い苦しみをも伴うが、何ら金は舞い込んで来ず。
そうだね、狡猾に生きる者からすれば私の活動なんて虚勢そのもので滑稽さ。
お金もらえないのにこんなこと、真に愚であろう。

お金が全て、わかってるはずなのに、やっても無意味に近いと嘲笑されるであろうこの活動を継続する一つの根源が、やはり初志貫徹である。
結局俺が金の為に働いたところで学校と同じく続かないだろう。
種々の要因はあるが、今では人間関係よりも体力面の方が不安なほどだ。
まあこっちの話なんて今更しても仕方がないと思うし。
俺様はどうせそんなことならば、ネット活動を否が応でも貫きたい。
ただ、その一心なのである。

そこで、また最初の命題に回帰させてみるが、斯くで然りなために懊悩するのだ。
上を目指したい、ならば一時の怠慢も許したくない。
本格的に練習してる人ってもっと強く打ち込んでるよね、わかってるのに・・・
そんな人は恩師を持ってるはず、私は一人。
何もかも不利な俺はやらない方がいいのか、死ねばいいのかって思わされる・・・


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