2014年12月11日木曜日

"手の届かないモノ"への空虚な夢想を断つ

私はこの頃、「最近のゲームの話題」を見ると嫌気が差す。
17歳といえば、まだまだゲーム盛りの年頃だし、今日日においては40歳前後でも現役のゲーマーが多くいる中、私はゲームの話題を敬遠している。
私自身、3歳から小学生の頃はマリオ勢であり、しかも任天堂以外のハードを嫌う傾向にあったが、中1にもなると毒されてPSPのある一世を風靡したゲームに手を出す。
所詮、友達が欲しいとかそんな儚い願望に溺れた悪あがき。
中3の4月に豊橋へ家出してからは、小6からバリバリの洋ゲー勢であった上の弟の洋ゲーをプレイさせてもらい、小5の時から微かにあったGTA等グロ・暴力ゲームへの憧れは意外な結果で叶ったという経緯を持つ。

そんな私は今、どんなハードであろうと最近のゲームの話題全般が苦手で、理由は単純明快「ゲームに憧れても買えるはずがないため、空虚な夢想に過ぎず、それに囚われたり端から眺める愚を犯すくらいなら、勉強なりに時間を費やした方がいい」という結論に落ち着いたから。
ゲームの毒性くらい、誰しも知ってるだろうが、実際に多くの人はゲームを辞められないのに、私は容易く脱せたのも、偏にネット主体の勉強への意志からか。
この考えに帰結するのも、上記の忌まわしき過去があってのことか。
そして、それからすれば比較にならない現在がこの思想を増長させる。
あのゲームが欲しいと母親にねだれば、軽薄にも母親は易々と買い与え、そのゲームなどの娯楽に興じ泡沫の如く消えていった時間。
取り返しの付かないことではあるが、その過去を持つからこそ、一層この思想が強まる。

教育の「飴と鞭」の采配は、この母親は最悪だっただろう。
端的に表せば、害毒となるゲームなどは妄りに買い与え続けた小5別居・離婚までの時代、怒ればしつけを口実に妄りに頭を叩き続ける虐待じみた小5離婚までの時代。
以前もこんな文章をどこかで書いたことがあるから、箍が外れぬよう自制を掛けるが。

ゲームなどの低俗で浪費する娯楽に興じたあの時代にもう一点、愚かしい習慣をあげるなら、今以上に菓子や清涼飲料水・炭酸飲料などの糖分が多い飲食を繰り返していたことだ。
いずれも、私がぽっちゃり体型だった小5別居・離婚までの時代はそういった生活習慣が顕著で、私と同じ轍を踏んだ「上の弟」も児童養護施設時代は良しとして、2008年末の姫路母宅遠征から施設帰り拒否問題以降の母親の庇護で怠惰を享受し、世間知らずになったことは今も尾を引いていて、彼に哀れみの一つはくれてやりたい。
2012年8月の迫害以降、父親の家でそれ以上の甘い蜜を吸ってると思しき彼は、PS4やXBOX ONEあたりでもやってるだろうか?
迫害時の手土産、PS3は現役だろうか?PCみたく現地で破壊したか?


続いて、ゲームと同等の忌まわしき話題が「アニメ」である。
アニメはどんな理論で「手の届かないモノ」と成り得るか。
アニメとはテレビあらば無料で見られる、そんな体裁ではあるが、その次の到達点が「アニメグッズ」の購入である。
どうあっても商業主義だから当然のことだ。
そして、アニメのファンならそれを持つのもまた当然のことである。

しかし、私がどうしてグッズの購入などできようか。
これ故に、アニメを見る時間は無駄なのである。
モノの恵みにありつけぬ私が見ても得られる愉悦はない。
グッズの所持数がファン内での優劣さえ隔て、ランクが決まるならば尚のこと悦楽はない。
ファンの立場にある以上、グッズ未所持では引け目を感じるのが人情だろう。
アニメ業界でいう「作品愛」とは、精神に懐く愛情だとか以上に、いくら「グッズなる物体」を所持しているかで決まる「即物性」が優位となる。

中3のあたりに、自室をフィギュアなりポスターなりで満たしたい欲望(オタク部屋?)があったが、このころの俺は未だ、そんな夢想がいかに儚く叶わないことであるか、気付く由もなかった。
グッズなどの物質的な充足を求める物欲にまみれた豚と、それを食い物にする商業主義・資本主義の業界がなせる業であり、貧乏人に等しい私はすべからく厭離すべきではないか!

また、個人的にアニメ視聴・鑑賞自体に、元来視覚的・聴覚的に苦手意識があったが、これまたリアルにしてもネットにしても、アニメの話題が蔓延してるからそれを共有したいなどという俗な考えがあったことも相俟って一刀両断することになった。
苦手意識について詳らかに説いた記事はコチラ→http://masashi.doorblog.jp/archives/40013079.html#nigate


アニメにしてもゲームにしても、他人との共通の話題を持とうとする意思は、正しく「社会性」に違いないが、俺の人生史は半ばより意味を成さなくなった以上、そんな社会性は排してしまえ。
俺がその辺にいくら精通しようと、話題が振られない以上、意味を成さない。
尚且つ、ゲームで脳を蕩かしアニメも然りだが、金と時間をも奪われるなら笑止千万。
予て「心身に害を齎す」と疑問を持つなら、悪の根を絶つべし。

よって、来月で18歳、後数年で成人を迎える私だが、この意志を貫けば間違いなく「酒・タバコ・パチンコ」に溺れることもないと断言できる。
アニメ・ゲームに惑わされることの更なる上位互換であるこれらだが、アニメ・ゲーム以上に「金銭・消費行為」が大前提となるため、そんな不健全な快楽を求めることも無い。

清らかで、お淑やかで、麗らかで、慎ましく美しい。
純真無垢にして清廉潔白なるままにありたいだろう。
・・・酒・タバコ・パチンコのことを抜きにしても今の俺が綺麗とは言いがたいがね。



最後に、「手の届かないモノ」の例外をあげよう。
人生的な夢だとかまで、「夢想」と割り切って手放すことは、かなり違ってくる。
私が斬り捨てた「手の届かないモノ」は往々にして金と時間を奪い、ゲームのように脳や身体に悪影響を及ぼす存在だ。
私にとって最近のゲームを購入することは「金を浪費した」意識に陥らせる上に、そもそも買うことの利点がその対価足りえるか疑問でならない。
ゲームへのあれこれ夢想とは、雲を己の手で掴んでみたい、ということに等しいのだ。
手を宙でバタバタさせる様など、はしたないことこの上ない。

よってこれまた金銭はクリーンに、DTMフリーソフト等で作曲したり、紙とペンとスキャナ付きプリンターで絵を描くなど最低限の環境で創作活動を行う。
これらの活動のなんと有意義なことか。
楽器やペンタブなど専門的な道具を買うお金もなく、それらの品定めをネットですることは、ゲームの話題を見るのと同じく、雲を己の手で掴むため宙で手をバタつかせるに等しい。
この慎ましい精神で行う活動のなんと健気な姿勢か。



私はゲーム反対家ではないが、英語の面白いゲーム反対ネタ動画
http://www.youtube.com/watch?v=0jzFjmIbX8c
http://www.youtube.com/watch?v=yrLT_ftszxA



追記: 2016年1月6日
私のメンタリティというものには、当記事に見られるアニメグッズや新作ゲームなどへの出費を厭うことのみならず、深い信仰心というものも似たように遠ざける傾向があろう。
それは、我が両親に起因するものと思っている。
常々、私の活動では、両親の無機質かつ愚癡・瞋恚の強きことを語っている。
これといった趣味にせよ、信仰のようなものにも遠い両親の元で波乱の半生を過ごし、今なお生命の危機に晒される私であるが、人一倍に向上心はあることのみ小4二学期以降不変である。
ために、こうして種々の活動(記録・創作・研鑽)を継続してこられた。

言いたいことに戻すが、「アニメグッズや新作ゲームなどへの出費」という若者ならほぼ誰もが年に1回以上ないし日々していることを、私(18、今月で19)が長年していない否したくても出来ない時期があったことは、現在仏教を学び奉りながら、衷心より信仰を懐くということが叶わないことにも似ている(教団無所属で寺院参拝などもできないからか)。
世間世俗のたとえですら、アニメグッズや新作ゲームなどへの出費・多々買いを「布施」にたとえ、作品のファン、ことに熱狂的なものを「信者」などと、宗教に見立てている。
私がアニメグッズや新作ゲームなどへの出費をしたがらず、信仰心も持ちづらくあることは、こういった多面的な見地で疎通しているものと、一考を述べる。



後の関連記事
2016年5月22日・公開「商業主義的アニメ・キャラクターの宗教性」
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/05/idol-and-idea.html


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あしからず。

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