2015年2月6日金曜日

飽くなき探求心と弛まぬ研鑽「しょうゆ」

スーパーの弁当についてる醤油の小袋に「しょうゆ」と書いてあるだけで知的興味が沸く。
近頃は古典などを学んでおり、しょうゆの仮名遣いは「せうゆ」か「しやうゆ(しゃうゆ)」かと即座に疑問を持ち仮説で「しやうゆ」が語感としては正しいと仮説を立てた。
そして調べたところ、「しやうゆ」こそ正しく、「調味料のさしすせそ」の「せ」に列せられる「せうゆ」は何故か浸透した誤用だそうだ。
(「せ」に該当するものが他になく、考案者が便宜的に改変して混ぜたとも言える)

どちらが正しいかは答えが出たが、ここで私の探究心は止まらない。
語感で「しやうゆ」が正しいと思ったのは経験則からの推定だ。
合理的な理由があって然るべきところ、どうも私が求めた答えと異なり、「醤」の字の成り立ちから「せう」よりも「しやう」が正しいというものだ。
(呉音の"you"と漢音の"ei"について2月27日、例えば「小」や「少」は「せう」で、「嬢」や「情」は「じやう」になるなど色々調べて法則を見出したかったが、まだ理解に及べず、例えば浄の呉音"ジョウ"に対し漢音は音符「争」から"ソウ"と推理するもなぜか"セイ"であり、醤は呉音"ソウ"で状は漢音"ソウ"とあべこべだったり、法則などない、が暫定的な結論)



結局、確固たる判断力は、一朝一夕、少し調べたくらいで身に付くものではない。
それで得られるほどに生温く生易しいものでないのだろう。
故に弛まぬ研鑽の姿勢を固持せねばならないことが信義ではないか。
崩さず継続したから、今まででは浮かばなかった疑問も浮かんだのだろう。

調味料云々は一般人でも知ってて小学生でも表面的に理解できるだろうが、前提知識がないから「そういうもの」と深層の理解には遠いものでしかない。
私は今、新しい段階の疑問を持てたが解決に至らぬという流れの通り、階段式で高度にステップアップし続けている。
並びに研鑽を継続すれば解決に至る日も来るのだろう、階段を踏み上がる如くに。



この件をはじめ、古典等の研鑽では生存するリアルタイムの世代に学ぶことは尊い経験になるが、現代を生きる者だと例え人脈広かれども困難だろう。
歴史にしても、結局実際に現場にて肉眼で捉えた者でない後世の者が軽々しく語るのも、なかなか恥ずかしいことだと思うこの頃。

言語も歴史も、当事者の文言に誤謬や虚構があるならば、お終いだと思うが。
特に歴史は、当事者を詐称して情報操作(歪曲)を恣に操らんと目論む不逞の輩さえ多い。
不明な一個人を情報源にすること、ネット等で客観的な情報収集をすること、是非は如何に?



当記事を以て「言語カテ」から「国語カテ」を分立させた。
「国語カテ」は文字通り日本語、「言語カテ」はその他、日本語と外国語を並列に扱う記事は両カテ兼任ということになる。
今後、もしも漢文についての記事を書くことになった際、中国の古典が主軸であっても一応は「国語カテ」にするのではなかろうか。

やはり膨大になると細分化で整理したいとは思う。
当然、同カテ傘下の既存の記事にも改正変更を施行した。
なお、新カテ名の案で「日本語カテじゃいけないの?」という気にもなるだろうが、カテゴリ(ラベル)一覧は、当ブログでは漢字二文字で統一しているため、それに準拠させた。



追記: 2015年8月15日

当記事の「醤油(せうゆ・しやうゆ)」について記事執筆時に見たWikipedia記事「許容仮名遣(oldid=42354315)」の記述は、当時深く理解するに足らないものであったが、ここの記述の要点は「日本で初めて仮名遣いに表記されたのがそうであるから、そういうものなんだ」ということであり、「それではなぜ当時"せう"より"しやう"としたか」という点が、音韻の上から明かされはしない。
また、実際に当時の日本人が聴いた音をそう表記した、というならそういうものだと、私も受け止めることにして、それ以上の理解は必要ないこととなる。
呉音・漢音というのは、日本人が古い時代に当時の漢字の発音を聴いてどう捉えたかの点が大きいわけで、伝えてきた人や国家による差もそれなりにある(漢音のような発音の地域と呉音のような発音の地域が同時代に混在することもあった)。
それを更に、当時における発音の表記で表したものが「歴史的仮名遣い」と称される。

その上から「醤油(しやうゆ)」の「醤(醬)」という字はなぜ旧仮名が"しやう"であるかといえば、現代中国語や韓国・朝鮮語で「ジャン(チャン)」という発音がされることから推定ができる。
この「ジャン」は中華"jiang"、朝鮮"jang"という綴りであるが、現代日本でも単に「ジャン」、あるいは「コチュジャン」などといった調味料の名でその読み方が知られる。
"jiang"か"jang"に類する発音を、上代・古代の日本人が聞き取って表音文字に転写すれば、先の字音仮名遣い・歴史的仮名遣いの"しやう"となる。
"jia"や"ja"は「ジャ=しや」として、「"ng"=軟口蓋鼻音」はその字音仮名の特性上、"う"とされるため、歴史的仮名遣いなどでは"しやう"となる。
まったく、ウィキペディアンほか多くのサイトの人間は、「歴史的・伝統的」ということ固くて融通の利かなそうなことばかりに念を押さず、私のように音韻学上の理論から噛み砕いて説明すべきものと憤懣やるかたなく思う。

歴史的にも中国の韻書などを閲覧した日本の国学者(本居ら)が、その音韻学上の理論から字音仮名遣いを定めたのではなかろうか?
その時、「しやう(相・正の呉音など)」と「せう(小など)」は峻別されて記されたと考える。
そして、「せうゆ」が誤用であるよりは当時の発音と表記の一般性に準拠した便宜的な仮名表記(「調味料のさしすせそ」も同種)とも理解できる。



ここ1ヶ月ほど、「中古音・上古音」に目を向けている。
初めは、海外の専門的な書籍にしかしっかりとした情報が載っていないものと諦め気味であったが、その「海外」というところから、普段見るWiktionaryを中国語版・英語版などに変えて閲覧すると、普通に中古音・上古音が載っていたりする。
その中では「信楽(しんぎょう)・愛楽(あいぎょう)」という「楽"ギョウ"」という仏教流の読み方の答えも見つかる・・・と思ったが、知恵袋の方のお答えになった中古音の内、「」Wikt中華を見ても"lak"のみの一致という点から、Wikt中華の情報は中華音韻研究者Bカールグレン氏の書籍以外を典拠にしているのだろうか?

有名な「蝶"てふ"」が表される元が子音が"p"で終わる、某知恵袋ユーザー流に言うと/tep/という発音の仮説を元に英wiktを見ても、中古音・上古音は載っておらず、かわりに広東語"dip"や朝鮮"cep"・ベトナム"diep"等のロマナゼにあるよう、-pの子音で結ばれていることが分かる(英wikt「蝴蝶」の記事では中古音として"dep"と記され、実際の発音が清音に寄れば"てふ(teph=teφ)"として昔の日本人が聴けなくもない)。
この-pが、歴史的字音仮名遣いにおける"○ふ"を構成する多くの元となっている。



それはよいが、中古音・上古音といった古い時代の音を求めるにあたって、この二つの名を知らない頃は、日本版Wiktionaryの漢字記事で中国各方言や朝鮮・ベトナム語の発音などを参考に想像していた。
それらには、幾分、日本の漢音・呉音と通じたり、古い音の形が残る例も多いからだ。
日本に慣用音という音読みがあるように、現代のポピュラーな中国語は、発音をあらぬ方向へ変えてしまうこともあるらしい。

例えば「癌"yán→ái"」という字がそれに当たるが、全容はリンク先を参照されたい→http://id.fnshr.info/2013/03/17/yanorai/
ところでこの「癌"yán"」は、先述の「楽・樂」と発音に共通点がある。
元々上古音ではどちらも"ŋ=ng"が頭文字の子音であり、日本語でもガンとかガク(ラク)などと読んでいるが、それが現代の中国語では「楽"yue"」や「癌"yán"」といった調子だ。
"ŋ=ng"が"y"に置き換わっていることがわかる。
どういった理由・経緯でこうなったかはっきりしないため、学者の見解を求む。

ギリシャ文字の小文字ガンマ"γ"は、どことなくY字に似ており、発音は英語のGに相当するのだが、YとGは何か音に類似点があるのだろうか。
日本語・英語でYa・Yu・Yoと発音されるものは古くはドイツ語・ラテン語などにあるよう"J(後にIとも)"で表記されていた(イエス・ユダヤ・エルサレム・ヤーパンなどの表記を見れば分かる)。
音のカテゴリ分類表を見たのだが、その"γ(有声軟口蓋摩擦音ɣ)"と"J(硬口蓋接近音j)"のカテゴリは近いようで遠いのか、判断が付かなかった。

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