2015年5月31日日曜日

Google+ 2015年5月中の日記メモ等

前回(初回)のGoogle+日記メモ記事は総計10,000文字超となり、記事用に拵えた画像2枚も含めると、メモ帳史上類を見ない圧倒的な長さの記事となったことが明白だ。
今回はそんな前回記事と比べ、集計範囲が1ヶ月間のみと短期間であるし、同じ1ヶ月だけでも4月は今回記事の5月中より多く投稿していたため、これを加味すると圧倒的に短い内容となろう。
それでも、通常記事以上のボリュームとなることにも想像が付く。

※記事本文の話題に関連して日記的な追記を本家記事に行ったものは掲載していない(例として、本家ブログ5月5日の記事における5月7日7時半の追記などがある)。



2015/05/03


「義の戒壇」・・・豊橋母宅における上の弟用の部屋は2014年3月より牛久祖母の部屋となったが、4月26日に上の叔母さん夫婦らが仏壇ほか品々を直接運んできた。

続きは本家5月13日の記事にコピーしてあるので省略する。
※当該記事には5月7日の日記メモも引用しているが、これは当記事でも載せる。



2015/05/06



「弟・デ・ラ・クレーム」・・・5月6日、GW最終日は終日、子供の往来が疎らで最後の日らしい静かさだった。この日の朝8時前、弟のケーキ作りが始まる。5月の頭、母親との会話で怒りながら「だからぁデコレーションが楽しいんだ!」と力説していた。「楽しい」という言葉を怒りながら吐く人は稀だ。思わず噴き出してしまった。去る5月5日のケンタ通いの際、同ホリデイスクエア内のイトーヨーカドーでの買い物にて、市販スポンジケーキと生クリームとアラザン等を購入した。果物類はない。

弟が生クリームをホイップにすべく専用のおもちゃで泡立てている様子を8時3・4分に撮影した。あの弟の姿を見て、相変わらずその背の高さに目を引かれる。身長の具体的な数字は、通知表を見た記憶によると、中1発育測定が166cm、中2発育測定が172cmらしい。172cm時より1年以上経つ今となれば一層高くなったことだろう。これは中2始めの集合写真を見て、特別支援学級の中でも最も背が高いことがわかる。

当記事注: この日記メモは本来、その様子を撮った動画を投稿した際に説明文として記載する予定の文章だったが、動画の投稿は断念してここにメモを残すまま今日まで経った。弟の肖像を気にして動画投稿を辞したのではなく、着ている服装が(以下略)なので、画像には部分的にぼかしをかけてここに掲載した。写真自体は、身長の高さがある程度伝わるように下の部分が写るように配慮して撮った。



2015/05/07


5月7日11時頃、2階・前祖母部屋から大きめの物音が頻繁に発つ。例の仏壇処分について始動したと見るが、ついぞGW期間中にはやらなかったようだ。12時過ぎ、外のカラスの動きが不純であった。

13時過ぎにゴミ置場の様子見を兼ねてゴミ出しの準備を始めるが、この直前に4月30日同様、高圧ガス式スプレーの音が頻りに鳴っていた様子があったが芳香剤ではなく、今回は本当に殺虫剤であった。玄関の靴類が全て片付けられている理由も不明で、ゴミ出しを辞めようかと思うも、予定の行動なのだから遂行すべく敢行した。片付けられたサンダルを取り出してゴミ置場に赴くと、案の定カラスに荒らされたゴミが散乱しており、ことにカラスの目的は腐りかけの枝豆のさやであった。

ゴミの回収が正午過ぎということは、出すのが遅れた人々にとり救われる思いでもあろうが、地域の衛生上とても問題性がある。去年にも野良猫の件に触れたが、彼らは真夜中~早朝にゴミを漁る傾向がある。明るい時間帯はこのようにカラスの独擅場か。野良猫やカラスの繁殖は更なる健康被害も及ぼすし、何よりゴミを回収するニイチャンたちの作業に手間が増えるであろう。本日の現場の臭いは割と酷かった。取り出したサンダルは同じく片付けなおした。

当記事注: 当記事を編集している5月末も仏壇は処分されていないし、これからも予定は無い。それでは、5月8日の暖房器具引き取り云々の電話は誰が相手で何の意味があったものか不明、こんな行動を伴わなく意味のない会話ができる間柄の人間はいないはずだ。もしかしたら、通話の最後に「当店では何々の処分は行っておりません」として断られたのではなかろうか。



2015/05/12


最近の弟の発言録「(5月7日深夜(?)本人が寝ようとしている時に母親が大きな音を発て)うるさい!バーカ!死ねー!」、「(5月10日夜(?)テレビの内容に反応して)藤岡弘だろうぅ?ウィキペディアで見たしー」後者の発言時刻は、当人の出演した番組を探せばいい。名前でGoogleなりTLなり漁ってみようか。「ウィキペディアで見た」というのも、サムライ云々の声も聞こえたので、それに関する記述を探すべきか。

2015年5月14日追記、同19時頃の記憶「じゃあ後で85万円払え!俺にとってはお前なんか憎い女なんだ!」22時前「ヘタな生き方、ヘタ人間!クソ人間!」→この大声で俺の思考が乱される。

2015年5月16日追記、そういえば近頃は「チェッ、なんなんだよ自分だけ」とか「何様だよ!」とか「じゃどうするのぉ!?」などを言わなくなった。今、ずっと休日ならではの二人の険悪な遣り取りが続いている。



2015/05/13


左下の唇裏に深い口内炎ができると虫歯の有無を問わず左上の歯も痛む。右側の偏頭痛があれば右の目も痛む。これは私の中の通説で、いずれも対応する位置に同じ神経が通っている為との所見だ。同様に、体の特定部位に酷い裂傷を被れば、その半身不随も起こる。神経やその他の管が集中する箇所を切り裂かれるのだから、通じる部位は機能しづらくなる。

こういう医療関係の私見に際してネットで検索しても、関連した情報を見られず。検索は徒労に終わることが当然の帰結となっている。仰々しいくらいダブルクオーテーションマークを利用しているのだが・・・



2015/05/15


劫濁の世間では原因に対する結果が顛倒する。ある結果を想定した意図的な原因を起こしても外れる。過去の執筆においても「完璧な理論が覆される不条理」を嘆き、深慮による行動が裏目に出てばかりだとの悲憤を綴ってきた。今回は自動的なものでなく他動的な例を挙げる。

いつも通りの汚い話だが、本日5月15日10時前に4日ぶりに下剤を適量服用した。その前の排便が5月13日と記録される。下剤を服用した9時より前の食事が、5月14日24時前で、ご飯+味噌汁+焼いた豚肉・ニラ・もやし+のり(板のり1.33枚相当)+マヨネーズ少量という内容だ。これ以降は下剤の服用までほぼ飲食が無い。実際に、1時半~5時過ぎの睡眠と7時~9時半の都合6時間の睡眠を挟んでいるため、少なくとも7時以降は何も食べていない。そのまま9時半の起床より数十分以内に下剤を服用し、ほとんど空腹に違いない。

下剤は空腹時の服用が推奨されるものの、1時間経っても腹部の違和感(蠕動運動の類)や乱れた音(ギュルギュル等)などが無い。普段なら1時間ほどで、下剤に対応したこれらの活動が感じ取れる。12時頃にシリアルを軽く食べて、菓子パンとコーヒーを食べて、食事に伴う胃腸の活動を期待したものだが、相変わらず変化なし。服用から3時間経っても変化が無く、お腹のハリもそれほど感じ取れない。そして14時過ぎに便意が強く現れ、やや長めのクソが出た。まあ冒頭に「結果」云々書いたが、普通のクソを出せたなら諒とする結果だろうが、それでも、出るまでに起きると予想される諸々の違和感が少しも現れなかったことはおかしい。

何せ、ギュルギュル音だとか、クソも出そうとしない時の寝ている時にはやたら鳴る割に、この下剤服用時には何もなかった。出もしないのにギュルギュル鳴って、下剤服用しても鳴らない、腸の違和感もないのでは、薬効も皆無じゃないかと不安感が襲ってくる。

このように因果顛倒していることが、真面目な私には不可解に思う。数年で、この世間を取り巻く道理は顛倒の傾きを強めている。今までの数年、十数年、数十年、百年、身に災いがなかったとしても、数年後を待ってみよ、御書に曰く「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」、前後の文脈は少し意味が変わるけれど。

当記事注: 次に下剤を服用したのが5月20日7時頃。それまでの間は食物繊維の割合が高い食品の多量摂取を行う極端な策を執った。また、コーヒーも多めに喫んだ(多い日で少量を3杯)。コーヒーのカフェインパワーでの排便補助は、最後に飲んだペースと量に対して間を適当に置いたことで効用がある。5月20日以前の服用=5月17日の数日以内からコーヒーを多めに飲み始めていたので、例え短時間に500ml飲んでも、徒に体をコーヒーのカフェイン漬けにして、血中濃度を異常に高めるだけで、体が弱い私なら動悸などの中毒症状を引き起こすことが予想される。思えば、コーヒーやお茶などをあまり飲める機会が無い頃にたまたまそれらにありつけた時は、やはりよく出てくるものだから「紅茶毎日飲んでる子って快便なのかな!?」とか「○○茶飲んでる子ってもしかして・・・?」などという邪推をも懐くことがあったが、それらも腸がカフェイン慣れすれば蠕動運動も起きづらくなくなる。コーヒーもお茶も、便秘への助力という観点では、覚醒剤で一時の快楽に溺れることとあまり変わらないように思える。同じく御書に曰く「師子を吠る犬は腸(はらわた)腐る」、さあ私は誰を師子王として、実際にそれを吠えているのだろうか?羸痩・便秘。



2015/05/19


メモ帳ブログの今月の記事数は9本を目標としている。理由は先月が9本だからだが、その前月が10本だったので、こちらを取ってもよい。少なくとも8や11などに分かれることは免れたい。記事本数の数字合わせに少しこだわりがあるのは、元からではない。

2014年の月別本数を見ると、6・7・8・9月はいずれも13本投稿されているが、4ヶ月に渡って13が並ぶという奇跡に感動を覚える。10・11月に至っては月間19本もの投稿が並び立つ。12月と年を跨いだ1月は共に12本である。これらの事実から、数字が2~4連続することが分かろう。ところが2015年は2月より不安定なのがわかる。短い28日間といえども7本しか投稿できなかった2月は、厳冬に色々と凍結していた部分があった。

それでも、今月は先月や前月とほぼ同ペースであるから、数字もそれに並ぶものとしたい。この日記メモ時点の投稿本数は5本。これに加えて現在の下書き記事状況は、完成率が高めの2本がある。更に今月の日記メモまとめを月末にでも投稿することになればプラス1本となり、計8本。最低限の用意で既に王手が掛かっている。残りの10日余りで新しい記事の案が浮かぶものならば、目標到達は必至。胡座を掻いてはいられない、今日中にも構想があるとよい。達成に向けての憂慮は、私の身とPCの調子といったところか。

当記事注: この日の別の出来事はメモ帳に別途記事がある。「メール」を主題として、無関係な同日中の事柄についても、ついでに当該記事に記録している。



2015/05/24


大仰な反応をするきらいのある人に関して思うことは、きっとその反応の根底に、自覚できない潜在的な意図がある。私にその心当たりが生じたのは、5月24日11時15分の母親の挙動からである。母親については今までもその人格を幾度と取り上げてきて、各ブログ・動画に散り散りではあるが、総合的には詳らかな情報量であると言える。この時の母親のそれは、私に対する害意の類ではないが、少々鼻につくものではあった。それもいつもと同じ私の取り方だ。

いずれにしても、母親にしても、私が独り言で仰々しい形容をくどく続けることにしても、「心に思うこと以上の誇張をしたい」という意図が重なるところがある。人に言えば下らない邪推となるかもしれないが、やはり大仰な反応には多かれ少なかれ他意が含まれており、悪い方面では悪意・害意が別件の蟠りから発生していることも考えられる。

当記事注: 「別件の蟠り」と関連するわけではないが、この十数分後に口論が起きてしまったことは、5月26日の本家記事のとおり。



2015/05/27


この夏は、少しでもお金のかかるペットボトル飲料への一切の欲望を封じ込めそうだ、という高揚感が起こった昨日。この「ペットボトル飲料」という語が指す範囲はスポーツドリンク・お茶・炭酸飲料などであり、缶の類も含まれる。昨日は、いつものムーミンのカップに4分の3ほどの量の水に製氷機の氷3~5個分を入れて4杯ほど飲んだ。「これぞ少欲知足、現代生活の倹約」と意気込んだ。

変わって今日は、弟のスポーツドリンクに関する会話を耳にすると、気持ちが少し揺らいだ。「俺は出来る」という気持ちが一週間でも持続するためしが滅多にないものの、とりあえず夏が来ないことにはどう進んでいくかわからない。夏を水で乗り切らんとする俺の戦いは、始まったばかりのようだ。

ちなみに、今日はまだ氷水を一杯も飲んでいない。思えば「年々色んな意味で味気ない生活になっていないか、色気も」と思っていたものだ。「思えば~と思った」と、「言わば~と言える」などは重複表現なのか?とも今日思った。

当記事注: 今の弟がペットボトル飲料を多く飲む(今回のスポーツドリンクはアクエリアス2Lで、最近のメモ帳記事にも)ように、少し前まで私も金銭面と外出時の体調の他は顧みず買っていた。この夏を乗り切るこの方針は、私の身の丈にあったもので、味気がないのも当然かもしれない。また、鬢糸茶烟の感がある、小学生の時は気にせず飲み放題の気分だろう。「暑い日に熱いお茶」といえば、小5の運動会では熱いお茶が用意されていた。



2015/05/28


5月28日15時半、母親が買い物へ出る。15時50分頃、弟が帰宅するが、最近数日はこのように帰りが早く、普段通りなら部活込みで18時過ぎになる。「特別支援学級の担任が出張だから」という理由を昨日も一昨日も話していた。続いて17時20分に母親が買い物から帰宅。

いつも、買ってきた品はリビングの窓を通して家の中に入る。母親は未然に窓の開錠をしていたが、母が帰ってくる間に弟はなぜか半分閉めてしまった=斜めに掛けた。これにより母親は物を室内に入れられないため怒ってしまい、弟と喧嘩になった。

後で言っていた理由の一つに「気温30度でハエがたかる」ということだったが、30度のような真夏日は、今日の豊橋では有り得ず、十中八九他地域との混同であり、また今日の17時過ぎではなお有り得ない。例の如き誇張したがる表現に、外野ながらウンザリしてしまうが、食品を置いた車内環境であれば、あながち全否定できるわけでもないか。二人の喧嘩の内容は、まともな言葉の応酬もあったが、何より印象に残った発言は弟の「クソ女!シネ女!」で、前にも「ヘタな生き方!ヘタ人間!クソ人間!」と面罵していたことが容易に想起される。

喧嘩が一旦静まって弟が傍にいない間に特有の「グチグチ小言」や、時間が経ったときに再度「何で鍵なんて閉めたの!?」と迫っていたが、魔が差してやったことについて、まともな弁明は特に弟の場合、至難の業だ。母親が今より元気で私の小さい頃に、グチグチ小言は不穏当で、子供の憤怒か不安を生むだけだし、理不尽な追求には混乱して、子供がますます塞ぎこんでしまう原因にしかならないと実感するが、どちらにしても本人が疲れるか飽きるまで続いてしまうという、引き際の悪いところが厄介で陰険で悪辣だ。若い時ほどこの傾向が強い。



2015/05/30


5月30日は朝4時半前に起床し、10分以内に風呂に入る決定をした。ここ一週間ほど、ご飯が炊けない日が続いており、今日はご飯が炊けそうなら風呂に入らないことにしていたが、例の如く炊ける環境でなかった(別に使用済みの時に私が無理やり使うのは争いの火種を作る)ので、炊飯は辞して風呂に入る判断が固まった。

風呂から出たのは5時半前、朝に風呂というのはいつも3時半頃が適切としているが、これは母親や弟の7時までの起床を想定してのことだ。その点から見ると4時半というのは実に遅く、事前に「1時間以内で済ます」必要があると考えていたが、今日は土曜日であり、弟の起床はほぼ無いと見られた。

そしてどうにか約1時間に済ませ、体を拭き髪をまとめ、耳を掃除し、顔をアレで洗い、次いで髪を乾かしていると悪い予感が当たり、6時頃に母親が降りてきたが、デジャブだ。半年以内にも6時頃に髪を乾かしていて母親が降りてきたことがある(後の調査で3月10日9時のことと判明)。またある件で母親が干渉し、その時ほど険悪なしゃべりでもないが、母親が6時頃に起きなければこんな話にならなく、私はそれらを視野に入れた上での行動をしている。

第一に母親の生活習慣といえば不規則で、人を振り回し続ける。昨日5月29日も11時半頃に母親が起きてきて顔を洗っているのをふすまの隙間より覗きみたが、ああいう時は「弟・デ・ラ・クレーム」同様に気付かれず写真に撮れる(まあ本人は写真に撮られても無関心だろうけど)ので次の機会に撮ろうか。ともかく、昨日と今日でまた起きる時間に大きな差が生じているのだが、毎日あなた自身の生活を縛るもの、仕事などは3月以降何もない。週2度の買い物なども昨日と今日はない。

このように都合がよいまでの不規則ぶりは、ただ本人の自己管理能力のなさに起因している。そして、弟にも「何でいるんだ!何でこんな早く(買い物から)帰ってきているんだ!」等と問われるように、これがみんなの迷惑にかけている。それでも、いい年した母親はいい年を過ぎてボケてしまっているようで、改めもせず、気付きさえしない。仮に自分の不規則さが厄介であることに気付いても、強情の故に反省など微塵も起こり得ない。孝子たる私は慈悲の故に、悪母を改悔せしめんと心を砕いている。

当記事注: 同日12時半前に、郵便局員の配達があった。インターホンが鳴らされて時間が経ったときに弟が応答したが、母親は別に外出中でもなく、家にいてその後にも一切反応がなかった。十中八九、寝ているのだ。29日が12時前に起きてきたり、30日が6時過ぎに1階へ降りてきたり、そう思ったら昼に客が来ても出られない母親のだらしなさが浮き彫りになる。この後、何も知らぬままノコノコ起き上がって来るのだろうか、と思うとますます淫乱な人間だと見えてしまう。これで、弟に迷惑がかかり、郵便局員にも無駄に時間を待たせたことで、淫乱な母親の罪がもっと重なる。種々の事実を連ねて強く呵責せど、例えそれを辞して甘き懐柔せども、頑迷固陋の母が矯正さるることは全くなし、いかで改悔せしむべきか。



2015/05/31


5月31日19時45分頃、弟は食事に先がけてテレビを付けたのだが、その音声には、海自だか艦船(イージス艦、潜水艦、製鐵所)の話題が聞かれた。数分後に弟がチャンネルを変えたが、母親が意外にも「見てたのにチャンネル変えないで」と促した。これに弟は「この潜水艦はお母さんの友達の命を奪うの?尊い命を」と返していた。この10分ほど前、いつもと同じ弟と母親の会話で「お母さんの友達を殺す」等の発言に「お小遣いあげないよ、困るよ」と苦しげに仕返していた。いない「友達」を殺すと脅されて困った母が、逆に弟を困らせたいそうだ。

私の母はどんな理由か分からないが安倍政権を嫌っている人で、無論、集団的自衛権に関する法案などにも反対派だと推量していた。こっちの軍事技術等も敬遠してそうだった。かかる法案への母の賛否については知る由はないが、ともあれ、行使反対派であっても軍事技術に関心を持っている人は当然いよう。思うに、やはりテレビ上で近年この種の国防に関する特集も増えているのだろうか、民間レベルの関心が向上しているのだろうか。これらのやり取りもテレビの内容も、全てリビングから聞こえた音声で判断しているし、私自身はテレビを2011年からまともに見ていないと示すことは常例の通り。

また、小さい頃を思うに母親は皇室の日常か歴史(?)のような特集した麗しい番組も、好んで見る傾向があったと記憶する。皇室にしても軍事技術、特に旧帝国海軍の艦船だとか空軍の戦闘機など、イデオロギーを問わず国民に愛されるものだと考えるべきだろう。いずれも我が国が誇る歴史・文化・技術の象徴である。



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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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