2015年7月23日木曜日

創作・研鑽が神仏への「お勤め」

私は日々「お勤め」をしている("努め"てもいる)。
目に見えない存在か、あるいは概念か、尊きものを慕い、あるいは畏れながら創作や研鑽を続けているが、それを「お勤め」と呼ぶ。
本来「勤める("努める"との混同に注意)」という言葉は宗教的に「勤行」と言うよう、仏などに信心や功徳を捧げた修行などに当てられていたが、江戸時代・明治時代と次第に社会的な用法が台頭して一般化した(というのは私の憶測・仮説で、調べてみるとコレが字源に詳らかな史実)。
それでは、私が「お勤め」として行う作曲において、どのような存在を尊んでいるのか。
紛れもなく威徳至上のメタル神である。

そのようなメタル神という考え方も、どこか遠い世界に住んでいる一つ厳かに存在しているのか、あるいはメタルや某作曲界隈を司る力用(りきゆう)の概念であるのか、説き出した自分にも判然としていない。
さはあれ、らい○ちゃんなどの現証がある以上、どちらにしても威徳が絶大であり、らい○ちゃんのように勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し。

作曲というのは最初憧れを持つところから始まるとしても、趣味・興味・娯楽のような認識もあれば、渡世の手段とする野心家もいるだろうし、あるいは単純な憧れが昇華して、自分が感動した曲より良い曲や、誰よりも良い曲を作りたい、聴かせたいという純真な者もいる。
私も色々と気持ちの移り変わりを経てきており、2年以上前までは音楽ほか動画などで大成して富や名声を得たいという野心も多分に備えていた。
今はどうか、世の真理を知りたいがために大聖人を中心とする仏を奉じた研鑽、またそれに準じては超越者のような作用があるメタルの真実を求めて、些か懈怠気味の非力を味わいながらも作曲を続けている。
何にしても、続けてみることで答えを知りたく思っている。
また、今は懈怠気味でも続けていく内に行道の亢進があることを望んでいる。
まあ創作関係って最近どっかで「自己満足」って表現使ったのが近い面もあるけどね。
聴いてもらって満足とか。

このメタル神について再度触れたく思うが、例えばメタル神の来歴として、最初から神として誕生せられたか、この世にかつて人体として存在し、何かの経緯(死を経るか生きながら昇天・成道するか)で超越者となられて力用を操るようになったか。
仏や神道の神も、多くは人体や物体としてこの世に存在したとして、今日に伝わっている。
物体といえば、万物に霊魂が宿る、万物を神体そのものとするのは神道のほか世界各地の民間信仰にもあるばかりか、仏教ことに大乗仏教では似たように有情非情問わず全ての生命、否、生物学的な区分に入らない物体にも心や仏性が宿り、成仏できるとする。

続いて、メタル神にあたる存在は、いわゆる一神教の神のように一人絶大なるパワーを有し、メタルないし某作曲界隈を司っておられるか。
お一人の意思によりらい○ちゃんに無上の楽才を授け給いしか。
対して私が便宜的に「メタル神」と呼ぶ一連の事象の背景が、力用のみの概念であるとすれば、抽象的な摂理であるのか。
メタル神とは一人の超越者であるか否かの探求は、1月5日のメモ帳記事に後日ひっそり加筆した箇所も「追って調べたい」旨で締めくくってある。
当該記事の時点でも宗教的に達観していたが、今回はまた一味違う考察に至っており、過去の自分が託した問題が解明に向かおうと躍進している。

こうした宗教などの体系的な知識は、主に日蓮系の仏法を学ぶことで多大に備わってゆく。
日蓮大聖人は、正法を弘めるために誤った信仰を撲滅する必要があるとして、四箇の格言を代表する邪宗破折の義を立てられた。
布教・弘教におけるこの破折の精神が門下の弟子や檀徒に継がれ、今日でも諸々の邪教を打破すべく特に某宗門で堅持されている。
そのような教団の卓越した宗教観はネット上に多く見られたり、機関紙なども昔から転載されている(6月21日のメモ帳記事で取り上げた某思想のアレは大白法という某宗門機関紙の昭和37年11月20日号にも匿名投稿の論文の中に載っている)。
末端信徒の教わりたてで曖昧な認識など、全ては鵜呑みにできないが、色々と氾濫する情報を見続けて、正しい考え方を自ら導き出すのが個人の訓練にもなる。

私はそうして体系的な宗教知識を得る内に、らい○ちゃんの消息からメタル神を見出すこととなった。
普通ならば、彼女の引退・失踪はただ優れた人材の儚い興亡盛衰の範疇であるとか、あるいは「しあわせです」発言を見て自殺を想起するなどに留まるはずで、私も教学に暗ければそういった程度の思考に終わったことだと思う。
一神教の神にしても私の説くメタル神にしても「妄想」と思われるかもしれないが、やはり神の名に仮託されただけで事実には偽りが無い。
何にせよ、昔の人は物事に表面的な原因のほか、神罰だとか怨霊の祟りを感じて自戒する気持ちが肝要であった。
日々創作と研鑽で「お勤め」する心は大事だと締めくくる。

ところで今回の件を記すきっかけが、2015年1月4日から作り始めたとあるメタル系の曲で、アレ動画の3番目に流した曲だ。
これは今も制作中であるが、7月に入ってからはそれまでの数ヶ月より著しく進展した。
思えば1月4日という始まりの日には、「夭折した~」のコードを転用してイメージした内の16小節分の音階を一気に打ち込めて、当時は件の記事執筆・投稿前の段階であったから、メタル神を讃えたことの恩恵とも取れた。
今また7月以降は、去年同様に夏特有のやる気が俄かに滾ったか、はたまたらい○ちゃんのことを6月末より再び追い始めて作曲の歓喜も起きたか、これからも作曲が続けられる=PCや携帯も壊れず私も健在なら即ち周囲も全て安泰、という状況が続くと良いものだ。



※当記事の原案は7月20日のGoogle+日記メモです。メモ帳記事の投稿ペース維持が困窮しているので、記事に仕上げました。


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