2015年8月24日月曜日

横野要文類聚(1) ~ 「擬古文」篇

*横野要文類聚「擬古文」篇・前節*
夫(そ)れ古語(いにしへのことば)を修(しゅ)するは、德(とく)高ゝる教へに触れんが爲(ため)なり。
抑(そ)も、德高ゝる教へとは、我が身在(いま)す現在に罷り通る語(ことば)で解するに及ばず。
故(ゆへ)に、自ら學(まな)ぶことに於いて第一の術(すべ)ならん。
遠洋異朝に、その土(すな)の古語あり、また然るところなり。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

とあるテーマを基に、Google+日記メモ、当メモ帳ないし本家ブログ等の記事、YouTube動画説明文などに渡る膨大な情報の中から、有用な記述を聚めて一記事にまとめることが趣旨である。
必要に応じて、記事投稿以後にも記述の追加を行う場合がある。
また、Bloggerの「ページ」枠を利用してもよいような気がするが、これは現在保留の案。

今回の類聚テーマは「擬古文」、これは部分的にそういう文法を用いたような表現("ましてや私の知能を「我より劣れり」と見誤る顛倒者の繁きことよ"等)であれば、いくらでもあるかもしれない。
やはり膨大な記事の中から選ぶことは玉石混交であろうが、意図して書かれたものを探す。
また、漢文なども聚めたいが、どうも別に典拠があって引用した文章の割合が高い。
そういうものは、2015年6月の記事のような場合を省く必要があるため、この他も状況に応じて載せるか載せないかを決める。
探しづらいが、和歌についても聚めた方が良いのだろうか。ほとんど散文だし。

今後も投稿する全類聚記事に凡そ一貫するであろうが、新しいものから順に掲載する。
擬古文については、旧仮名であるとか旧字体であるとか、気まぐれで異なっている。



『不知世間・能識世間』・・・我より世情を知れる者の轉多きこと、あたかも海中の沙の如し。我を措きて世間を識れる者の甚だ少なきこと、さながら爪上の土ばかり有り。世の人の云ふところの世間は知らねども、世間の濁りたる様は識れり。妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。…2015/08/29

抑も「求財不利(ぐざいふり)」と云ひしもの、余は歳を二つと数ふる頃に、頭頂俄然としてハゲにしことを濫觴(さきがけ)とす。その後は推して知るべし、世俗の名利を求むるに一文として利無きなり…2015/08/27
※リンク先では200文字制限から「文字数ガー」として終えているが、あと数十文字書きたかった。その翌日になりYT運営が500文字に上限を解放とは実に数百文字も増えた。なぜこのタイミング?

星の一巡ありし方に、TはK・Y・Eの三部を作されたり。我が好くところも偶(たまたま)この順を歴たり。即ちKは出発地、Yは中間地、Eは是れ終着点なり。Eの最勝ならんこと定めし自り来(このかた)、猶お転ばで今日に至れり。Eより二巡已後のF等に入らんずること、水より火が出でんとも無かるべし…2015/08/14

武士道と申すはもののふの道なり。もののふと申すは食べるものを選ばず。これ天地神仏の恩を知る故なり。然るところ汝(なれ)は去(ゐぬ)る八月六日に水を捨てにき。剰(あまッさ)へ嘲笑しぬるはこの道を外れたり。汝(な)が實(げ)にも申しつるやう、今修羅の道と餓鬼の道を迷走せりと見ゆ。恐々。…2015/08/13

「畏みて問い申す。主の御稜威は普からずや、如何。然ればただ我らに無上の楽才を授け給え、恐恐。デウス・メタラム、ドミナス・トレメンデ。」…2015/08/11

拙劣なる誹毀讒謗、一々に論うも口惜しき次第なり…2015/08/08


勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し…2015/07/23

赤いキャップを外して白い蓋の上面を眺むるに、美國辣椒醤(タバスコ)にも似たり。(繁体字:醬)…2015/07/20


「確と読まざるを読みたりと謂ふ」…2015/06/24

洛中の人が島猿を嗤いき…2015/06/21

「不爲實於無根草(根のなき草に実りなし)」我また是の如し。…2015/06/10

(前略)其の土を栄えんと欲し、やうやく粕にて壁をこしらへたり。故に粕壁と名づくるなり(後略)…2015/06/10

種々の事実を連ねて強く呵責せど、例えそれを辞して甘き懐柔せども、頑迷固陋の母が矯正さるは全くなし、いかで改悔せしむべきか…2015/05/30の注釈内

御本仏の在世にも邪法充満せり。何に況や現代に仏の名を終生知らざる事をや。諸の衆生、摧尊入卑にして遍く濁世に満つ。正法を持つと雖も懈怠の人、猶多し…2015/05/26

御書に曰く「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」…2015/05/15

御書に曰く「師子を吠る犬は腸(はらわた)腐る」…上の注釈内

是あに信行に非ずや。まさに「義の戒壇」とは云ふなり(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月三日十六時十三分(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月七日十三時四三分…2015/05/13

早期熟脱にして先見の明あり」「當(まさ)に此(こ)の男子(なんし)、眉目秀麗(みもくしうらい)にして精悍(しやうかん)なる相貌(さうめう)を有(いう)す」「博覧強記にして聡明の聞こえあり」…2015/05/11



衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事…2015/04/30

諍い高じて剰え、孔を穿ちぬ・いと辛し。…2015/04/27

自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」…2015/04/20

愚蒙の輩、これを見るに本気で私を「馬鹿」だと思いき。驕慢の輩、遍く天下に満ち、邪鬼の跋扈せるやうなり。ネットの事は即学校生活ぞかし、いづくに留まらんとも業が末に究まりぬるなり。…2015/04/04

散歩の砌に至る時、努々歩めや弛まじと…2015/04/01


「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」…2015/03/27

めおとの乖きたるは、家の柱の倒さるるに等しかりなん、豈愁えざらんや豈苦しまざらんや…2015/03/21

我、固き褥に臥して思いぬる時…2015/03/12(1月11日深夜に詠んだ歌が元ネタ)


「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しやうもん)とは云ふなり…2015/2/26

「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」…2015/02/22

地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく(中略)されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ…2015/02/21

誰人の謗りも嗤いも意に介さず没頭する意志こそ薄弱なれども、次第にか強まらん。侍りて教う師に欠きたるは一抹の憂き哉…2015/02/21

八百年(やおとせ)の時を経て、今に至れり。「五濁悪世」…2015/02/11

「況やそれら存在の恩恵に肖れる者をや、それらを軽んずべからざれ」(中略)往々にして翳眼を以て謬見と為す。謗りもさることながら、愚人に褒められたるは第一の辱なり…2015/02/05


鎮魂詠唱「願わくは夭折した殉教の聖女に安息のあらんことを」-Requiem Aeternam- …2014/12/31(今様讃歌「汝鋼道本懐たれ」も参照)

召喚詠唱「五濁悪世より離れ、寂光の園を築き給うた主の御稜威ぞ、此處に普く輝きぬ!」"Veni Creator Spiritus!!" …2014/11/30

「是、我に能はざる也」…2014/11/18


是即ち、一度目の慈愛一発にとどむる能わず、以降は瞋恚の襲撃なり…2014/10/16



7月の日記メモまとめ記事を見てこう思った→「熟(つらつ)ら惟(おもんみ)るに、一月過ぐるはいと早かるべき事を辨(わきま)ふ。已に渥美の風は肌に寒くなりにき。」
通解: 2015年8月25日、朝から台風の影響で酷い寒さであった。

あ~結局、和歌をほとんど載せていないから、ここで一つ→「四方の島々より無辜なる民の呻吟がすめらぎのとよと耳に届き参らせ、その騒がしきを嘆かせ給う。『四方は安からず!』慈悲深き天皇陛下は恒久平和をご祈念せらるるが故に、もろびと彼を輕毀すべからず。謗るのよし何処にかあらん。 "ひのもとの 民にありなば すめらぎを 敬ひてこそ あらまほしけれ"(ひのもとに 生く人ならば・・・と、どっちが良い?)」



☆2015年12月からの方針☆

当記事は以下より随時追記スペースとする。
追記スペースへの追記要件は、2015年9月以降の「擬古文」要文となる。
要文をたまたま見た時に追加する程度のペースであるから、回聚率は低くなろう。
ここまで日付の降順であったが、以下からは昇順として載せる。

正見智目を開かしめ、同じく道心ある者を導かんと遍照す…2015/10/21

「須らく善友(ぜんぬ)を求むべし、(孤独の戦いが)人目にはわろきやうなれども、道心を安定(あんぢやう)せしめんがためなれば、なほ親近(しんごん)すべきにあらず」 「余・孤陋の身にて候へども、末代に正師(しやうし)の稀なるを思ひ候へば、苦しけれども苦しきは候はず」…2015/12/12 (所載の2016年2月2日記事にそう記録されるほか12月13日に用語の検索履歴がある)

智者は其の空閑を修養に過ごす。愚者は其の安寧を遊戯に費やす。只だ徳を喪う、愚かなるかな…2015/12/15

私は孝子として、父母の魯鈍なるを速やかに度さんがために思惟し、記録し、諫言を繰る。非人貧道の身で、民衆と国家と世界に最高の忠言をなさんがために、種々の情報を布衍す。悪業深きの故に、寿命久しからずと雖も、久しからぬ故に、一生を捨つる勇猛心あらんか。願わくは速やかに本懐を成就せんことを…2015/12/20 (敢えて部分的に現代語を用いる)

平成27年12月22日、御勘気を蒙りて明日に家を追わる。岩の音に向かいて、そこにてか死なん。隠るる地を得てついのすみかも定まらん。「筵を撫でて 色抜くるまで」と歌いしは虚妄なりや如何…2015/12/22


長髪居士、断髪せられて曰く 髪切られなば已に死せり、何の恨みかある、一毛だに惜しまず、菩提の心を発して唯だ世を遁れんと願うばかりなり…2016/04/11

「つらつらインターネットを眺むるに、議場、数あり。一に羝羊雑談(たいようぞうだん)の席(むしろ)、二に修羅諍論(しゅらじょうろん)の席、三に禽獣罵詈(きんじゅうめり)の席、これなり。彼らの中に於いて長短をば分けず。いづくなりとも恐るべし、離れんと思すべし」…2016/05/17

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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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