2015年8月12日水曜日

食品や液体の熱と口内感覚の鈍磨

昔の記憶の中に、「お風呂の温度は39度」という歌詞を含んだ歌がある。
ポケモンの2003~04年頃のエンディングで流れていたもので、これを今も覚えているのは、そのシーンの映像と歌詞から受けた印象の強さにある。
小1~2ほどの当時でさえ、もう39度は適温~ぬるいように思えていたわけだから、映像中でキャラクターが顔を真っ赤にして飛び跳ねるシーンを見てしまうと「そんな熱くはないでしょ~」と、気に障りつつ突っ込んでいた。
※原曲名で検索する気持ちは起きない、またそのキャラが歌詞中の「39度の風呂」の熱さにその演出をしたかどうかは不明で、YouTubeなどに映像が上がっているとしても確認しない。

それから現在に至っても、その楽曲の曲名が含まれるサビのパートと、問題の歌詞のシーンばかりは記憶に残されており、時々思い出すことがある。
私自身、「なぜか覚えている」ものの代表格といえば、ドラえもんの漫画における「だんへいた らたっかつみ(記憶漏れ:うおゃちめう、アニメで同じ道具の回があったらどう再現されるのか?)」が挙げられるが、それはともかく、日々の食事で気を払う点が増えた。

手で10秒も触れられない温度の食べ物・飲み物(スープ類・お湯やお茶など)は、たとえ少量でも口にする前にしっかり冷ます必要性を強く意識する。
それは、私の3月24日日記メモにおける貼付写真をご覧になると、下の色が局所的に周囲と異なる箇所が2つ目立っていることでそう思えてくる。
これはそのメモ内に書かれるとおり、アツアツの麺をまともに冷まさずして急ぎ口に運んだため、このような火傷を負っている。
慣れると痛みも鈍くなるのだが、それは「感覚の鈍磨」そのものだ。



赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。
イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。
ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。
毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう。

風呂の設定温度と一口で言うにも、各家庭に備わった給湯器パネルであるとかの設定温度でまちまちかも(私的な憶測の域を過ぎないが)しれないし、築年数のある家によっては、風呂のための給湯器さえあってもパネルなどなく、普通の蛇口などでお湯を張ることもあるだろう(より古くは給湯器の構造から沸騰させたお湯が流れる場合もあり、それが悲惨な事故に)。
また、我が家の事情としては、給湯器パネル(Rinnaiの120Vシリーズを参照)が二つあって、一つが浴室に備わり、もう一つが台所に備わる2台体制であることは日記メモ6月1日に記録した通りだ。
パネルのスイッチを入れることで初めて温水を出せるようになる。
それぞれのパネルにそれぞれの設定(浴室の高温設定と台所のエコ設定)が付いて、スイッチの入れようでは、相互に異なる設定で影響し合ってしまうが、その問題は特に関係ない個人的な記録だし、記事の内容が紛らわしくなるので忘れて欲しい。
浴室に備わった方のパネルには、更に細かく浴室のシャワーやキッチンにまで通じる設定項目と、浴槽本体に排出するお湯の設定項目の2種類が設けられている。

浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない。
このパネルが指すシャワー設定39度でも、異様に熱い水(同パネルなら42度以上の設定に相当)が出てくることがあり、最近はシャワー排出量が控えめの時に多く感じる。
逆に少し前だと、控えめの排出量でお湯を沸かしたがらないようだったから、給湯器のシステムに強く疑問を持たざるを得ない。
また、季節によっ水の熱さが異なることを踏まえて、私が普段シャワーで使用する設定を記録すると、我が家設定で冬は39~40度、夏は38~39度。
別に温度を調節する「サーモスタット混合水栓」は常に最高位置に止めているが、パネルボタンをいじりたくない(操作音を立てたくないなど)場合は適宜ここで調節している。
上述の、39度設定における異様に熱い水が出やすくなった昨今は、こうして調節することが増えたわけだが、熱い水って私の感覚の問題なのか給湯器のシステムによるものか分からない。
このサーモ水栓という代物は、私の小1~2期あるいは物心付いたあたりにも住んでいた与野・浦和期のマンションやアパート(築20年ほどと30年超?)の風呂場にも設えられていたのだが、日本ではどれほど以前より普及していたのか、その疑問は置いておく。

今では4年以上風呂や温泉に入っていないとしても、前の家ではある程度入っていたわけで、記憶の中には柑橘系の炭酸ガス入浴剤の存在が大きい。
前の家における入浴状況もついでにここで記録したいが、入浴剤は父親がほとんどこれのみ選んでいたので特に書くことはもう無い。
当時の風呂でお湯を張る際の設定温度は・・・あまり記憶に無いのだが、40・41度を好み、まれに42度を選んだこともあっただろう。
ぬるめの温度について関心を持ったこともあるが、それは2009年以降テレビでぬるま湯の半身浴が取り上げられていた辺りだと考えられる。
小5のころは夏休みに広義の風呂さえ一週間入らなかったこともあって、学校で自慢したら(略)、中1以降は中2二学期末の不登校となるまで、毎日潔癖症のような気概で入っていた。
平日はほぼ一人きりなわけだから、綺麗な風呂に入りたい時は自分でよく掃除をしていた。
こっちの家はずいぶんと浴槽のアカか赤いアレとかが離れでも視認できるわけだが、母も弟も家で風呂に入らないのだろうか。



お湯というと、2013年以降味のついていないお湯(白湯とも言う)を飲む頻度が増えつつあるわけだが、これについても近頃、アツアツを無理に飲む必要が無いことを感じている。
部屋の電気ケトルでゴボゴボ沸騰するまで待つのは煮沸消毒のつもりだが、余程不安があるときでもなければ、白湯の為にその儀式を挙げる必要は無い。
よって近頃は60~80度ほどと見られるあたりで加熱を止める。
いつものムーミンカップはいくらか保温性を有するわけだが、沸騰したお湯をそのカップの5分目以上に注いだ場合、今の時期なら冷めるのは時間がかかる。
しっかり待たぬ内にスプーンに取ったお湯を半端に冷まして、やはり冷ましたりなくて、熱さに悶えるとまで言わずとも焦ることは多くある。
敢えて上記でカップから時期までの細かい状況設定を設けたが、季節を問わず量を問わず、お湯の熱さに困惑することは多いのだ。

どうも、その温度のお湯をたかが少量飲んだくらいでは平気に思うかもしれないが、近頃の私だからこそ以前より不安視を強めている。
ただ一時の感覚として口内で熱い、歯にしみそう、喉が焼けそう、この程度に落ち着かせて何度でも繰り返す、それではやはり「慣れ」という名の「感覚の鈍磨」が進んでしまうのだ。
乳児~幼児期の食道系における温度感覚は、人体の他の部位の皮膚に通る神経と大きな齟齬は無いようであったことは既述の文章から知られよう。
今であっても、口に含んでは温かみの感じるカップのお湯を指先で触れてみると、10秒触れるのは辛いようで、口の感覚と指先の感覚では著しく隔たりが感じられる。
そんなお湯は「煮え湯」であり、それを受けた喉や胃にとっては、口で感じた温かみ・ぬるさと比べてより熱く感じるし、実際に熱の害も起きていることだろう。
深く探れば、胸焼けにも似た不快感を捉えられるし、熱いものは、家庭医学の噂に聞くところでは、食道がんや胃がんの原因にも繋がりやすい。

生物学的にも、他の動物は、肉にしても植物にしても熱して食べる習慣は当然無く、熱いものは刺激物であるから、進化論の上で刺激物に慣れつつある人間であっても、過度な領域に寄ったものは摂食の継続を避ける必要がある。
ましてや刺激物に適応する必要は無いだろう、結局人類が超人に進むとしても人体の多くを構成する「水」の沸点以上の温度環境で身が保つことは、クマムシでないのだから有り得ない。
私には疎遠な学問分野の話をしすぎると、浅識が露見しそうなので、ここで休めておく。
熱いお湯が胃と喉に与える影響については、口内でお湯の熱を取ってから飲めばいくらか緩和され・・・これは多くの人が実際に意識してもしなくてもやっていることと思うが、口内というものは体の中で一番、触れた熱に適応できるよう作られているかもしれない。



なお、冷たい飲み物を勢いよく飲むと、喉から胃にかけて鮮烈に液体の通りを感じることと思う。
消化器系がコーティングされたような感覚がある。
これに気付いたのが14~16歳ころのことだが、近頃は冷たい飲み物を流し込むという行為自体なかったので、意識する機会は無かった。
水道水はお湯で飲むか冷やさず飲む場合が多く、氷水で飲むにも、ヒエヒエとした水は歯にしみそうなので、流し込む真似は行っていない。
この行為がどのような影響をもたらすかは定かでないが、誰でも何かのイラストで、顔の付いた胃が目を閉じて腕を組んででバツを示したり手を伸ばして拒否を示すなどを見たことがあるはずだ。
バツや拒否を示されたものは、酒・タバコなどもあろうが、アイスや冷たい飲み物に向けられることもある。
悪い影響が幾らかあることは確かである。
私自身、朝起きて水道水を流し込むこともあり、冷えている水ほど好ましいとも思っているが、結局出したてのぬるいもの(6月以降始まった習慣だから冬の場合は存じない)を飲んでいる。
また、アイスは長いこと口にしていなく、関係ない話となるがアイス食べたい。



追記:2015年9月3日
私はこの夏いよいよお湯を飲む頻度が増えたようだ。
ノートPCや自室調理換気の為にエアコンを掛ける中で、自分としては自室エアコンの最もぬるい設定温度(30度)でも寒く感じる場合があり、温かい飲み物も悪くは無いばかりか、多く別方向で効果を期待して飲んでいる。
あるいは、当記事に語られる要因と汗かきを厭う点があいまって、ぬるめで一気飲みもよくある。
一気飲みすることは、狭窄傾向の喉を拡げる訓練でもあるが、気道と食道を弁(喉頭蓋)が弁ぜずして肺に流れ込み肺に水が溜まること、でなくともその誤嚥を防ぐべく悶絶することは恐れる。

ところで「肺に水が溜まる」と俗に言われるこれは、いかなるプロセスでその状態に至るのかといえば、上述の如く物理的に気道を経て肺に流れ込み、患者のケース次第ではその自覚無きままに進行して重症に陥るのか。
これは一端として例に挙げるのみで、他にも考えられることはある。
※"肺水腫 - Wikipedia"参照、血管に関する原因(ほぼ高齢者)が主要であり、後はよほどの外的ダメージ(薬物・感電等)に起因し、私が水の多飲にあっても憂えなくてよいが、一点残る疑問は、その治療に水を排出すべく利尿剤等というと、私の排尿が鈍れば起き得なくはない。

以上の如く、私は夏にあってもお湯を多めに取り、例えば牛乳を弟・母と同じ量を与えられるとしても、計画的にシリアルで消費していき、余る分はお楽しみ。
同じ量のシリアルが与えられる弟は牛乳を飲み水の代わりに多く飲み、母はどうも健康食品のみならず、今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。
元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない。
質素倹約の私と異なり、貪りを感じてならない。



オマケ、「なぜか覚えていて検索候補(サジェスト)が出るフレーズ」集→「お風呂の温度は39度」、「うおゃちめう だんへいた らたっかつみ」、「弁護士さんは金持ちだ~命が惜しくて逃げ出した~」


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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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