2015年5月3日日曜日

Google+ 2月~4月末までの日記メモ等

当記事では、4月以降本家ブログでも存在を示すようになった「Google+日記メモ書き」のまとめ転載を行う。
このG+メモは、本家ないしメモ帳等で記事にするには足らないような些細なことを記録したものであるが、この際2月以降のものを選別してまとめようと思う。

それに当たっては、原文を少し編集しておきたい。
例えば、改行は普通の記事と比べ控えめだが、これはニュースサイトに準拠しており、文の脈絡に合わせられている。
また、投稿の仕様で付けられない、画像データなども一部載せる。
必要に応じて当記事側で趣意や注釈も付けたり、既述に応じた有用な過去記事リンクも付ける。

留意点が一つ、G+のコメント欄では一定時間が経過すると何時何分かは表示されなくなる。
面倒な仕様で、HTMLソースを見ると何時何分の記述が残っている。
よって、ソースより時刻を引用する手間を少々省いて、基本的には日付のみ示す。

横野真史のGoogle+アカウント→https://plus.google.com/113853869960515555243



2015年2月

2015/02/03


家から目的地までの片道約200mを往復で全力に比較的近い速度を維持して走った。厳冬の夜の冷涼な空気は助力たりえるのか。目的地では1分で所用を済ませ帰路も駆ける。西からの風はこの時に強く感じられた。

普段だと脚の痛みが顕著となり、ことに足首と膝の関節。しかし今回は足腰の負傷など感じず、家に入って体を休めるや否やの瞬間に気管支、呼吸器系の部位が悲鳴を上げだしたのだ。

走ってる最中は「何でも出来るぞ」という高揚感さえ躍っていた。当該箇所の苦痛をものともせず。それが虚勢のごとく瞬時に苦痛として発現したのであった。

帰宅から10分経過しても歩行等は覚束ない。肺に穴が開くという表現もあるが、走りを過度に飛ばせばその境地に達することも否めないと判ぜられる。

世間では、今回の距離の5倍の距離同等の速度で走っても涼しい顔でいられる人がいるのだろう。
一応、走る際のポイントを昔取った杵柄で踏まえてはいる。呼吸法は鼻で2回吸う、口で1回か2回吐く。大口で空気を貪れば、上述の苦痛の比でないほど傷める。走法は関節への負担を考慮し、適宜つま先の疾駆と踵の緩衝とで変えながら。良いフォームと長いブランクでは後者が痛快なまでに優っているのだ。



2015/02/21


小4~中2期の肩身の狭さを思う。学校生活は漸次その傾向が増してゆく日々だったか。当時の自分に「その共同体に於ける己の存在価値」というものはその状態に比例して薄くなっていく自覚を持っただろう。いっそ死んだ方が自他共に気楽ではないかと。

ここで「死ぬ故に存在価値がある(byらい○、趣意)」という簡素な結論のみで説かれても、前提の知識がない人々が噛み砕いて理解したところで誤認識の流布がされかねないと思う。そう、死ぬから生を全うせねばならない、仏法の眼で見るべき。

地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく人間の身に生まれることが、どれほどまでに稀有なることか。その尊い命を蔑ろにして、自殺ということは実に言語道断の所業。

千数百年前、中国のとある和尚は柳の木に登って飛び降り、自殺を図ったが、未遂に終わって一週間悶えて絶命した。動機は「死んで極楽往生したい」ため、死に急いだのだが、無残な最期になったのだ。この人物の臨終については後世の捏造ともされるが、ここでは触れない。

与えられた人身を自ら粗末にする所業はお許しに給わぬ、御仏の厳戒である。されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ。

世の真理・仏法で以て説くことで心肝に染まるため、近現代の道徳等の理屈では、どんな内容でも子供達に精神は伝わらない。当時の私にも。



2015年3月

2015/03/24



口内炎と舌火傷の二重苦である。只でさえ、口内炎を誤って更に噛むという泣きっ面に蜂の如くを冒した矢先に。まあ舌火傷は平常時に痛みも何もないけど。歯などが患部に触れた際、火傷時特有の過敏さが起きるのみ。触覚・痛覚が斯様である故に、舌火傷の発覚は視覚的なことに起因するものであった。

鏡で舌を見たときに初めて「白い部分がピンク」という周囲から際立った色彩的な異常に気付き、火傷だとすぐにわかった。痛みも微少なれば、発生時の原因(火傷の発生を実感させる要因)も微少で、少し熱かったラーメンを多めに啜ったからである。この時は冒頭の「口内炎を更に噛んだ」直後で苛立っていて、火傷も厭わない覚悟であった。

当記事による趣意: 出来た口内炎をもう一度噛んで苛立ったときに、熱めのラーメンを火傷も厭わぬ覚悟で勢いよく啜ったら火傷したが、そのときは気付かずに、時間が経って鏡を見た際に初めて気付くほどそれまで痛覚的な火傷の実感が薄かった=火傷の規模が小さい。



2015/03/26


↑で口内の二重苦を謳った24日に替わり、25日1時は堅いシリアルをバリバリ食っていたら舌を傷つけた。ポテチ等の噛まれた欠片が口内炎の原因となることと類似している。舌の先端に近い部分からは血が僅かに出てくる。

当記事注: 3月24日撮影の上掲画像では、同じく「下の先端に近い部分」にキズと思しきものが付いているが、この3月25日1時の件と関連性はあるのだろうか?



2015/03/26


コーヒーと疲れ・・・カフェインパワーで延ばされた起床時間は、その長さに比例した疲れが蓄積する。起きている間は朦朧とした感覚に陥るが、これは眠気ではなく疲労に起因する。この疲労は、疲労感として自覚するものではない。疲労の発現が朦朧感として生ずる。よって作業の場合はその能率も落ちる。

是が非でも起床時間を拡張させたい時にはコーヒーも大なり小なり有効と看做せる。そのカフェインパワー時間を作業に当てる場合、質を問わない作業には向くが、私のような創作活動では能率に響きやすい。本来の許容範囲を強引に突破する手法であるからだ。

今この文章は、本来眠っている時間にコーヒーのカフェインパワーを自覚しながら書いている=文章能力に何かしらの影響があるかもしれない。

当記事柱: メモ帳4月1日の記事でも転載した。その時に要約も行った。「カフェインパワーは斯くなるものぞということで、この文章もまさにカフェインパワーによって強引に眠気を飛ばして書かれている以上、乱文の恐れがある。」



2015/03/27


御書などで、意外な言葉が用いられていると、やはり仏教は日本の歴史的な熟語メーカーだと常々思える。近頃では法華経の経文などもじっくりと拝読しており、今日は薬王菩薩本事品における阿弥陀仏の出演のあたりを眺めていて、少し先の項に目をやると、「如渡得船=渡りに船を得たるが如く」とあり、衝撃を受けた。日本のことわざ「渡りに船」も、千数百年前の中国で漢訳された経典で既に用いられていたこの事実。

多くの熟語・・・どころか、「種々の譬喩」ひいてはそこで生じたことわざまでもが仏典由来なのだ。懸命に拝読を重ねる私は、着実と理解が及んでいっている。半年前だと経文は難しいとして逃げていたはずだからだ。「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」



2015/03/29




3月28日土曜日の母親の買い物でまたも弟向けに「青森県産にんにくとブレスケア(グレープ)」が買われていた。先週土曜日から続き二度目(後者はレモン味)だが、当初は「何かの番組にでも触発されたか?」と可笑しくなった。

その時のニンニク一個は今回までの約一週間で消費された。処理した中身を1個ずつ朝食として生でかじっていたようだが、まだ春休みに入る直前だとそのまま登校して特別支援の同級生に「お前クチくせー」と言われたのか。春休みに入った今では問題にならないだろうが、本人の口臭は近寄ってもわからない反面、食べる度に1Fリビング~廊下は強い臭いが充満して残る。

このニンニク買いは母親の菓子不買宣言に発端し、菓子の替わりに弟が求めたと見る。不買の理由は「菓子コーナーは小さい子供の行き来が激しくて嫌」として、今更言うことか疑問である。

それはそうと、奇しくも最初のニンニク買いの日のあたりに、某同人(某所でたまたま目にした)で某設定のキャラがニンニクの臭い嫌うシーンを見たが、その某種族がニンニクを嫌うとは初耳である(忘れていただけっぽいけど)。ニンニク入り餃子を食べていたキャラに対し「食べすぎで頭おかしくなったんじゃない?」と言い放っていた。

ニンニクで「奇しくも」ネタがもう一点、3月6日に「忍辱」の読み方を「ニンニク」と読むことを知った(仏教と野菜では、インゲンマメと隠元のことも同日知った)。

最初のニンニク買いで未使用の実物両点の写真を撮ろうとしたが、撮らぬまま日が過ぎてしまい後悔したものの、またとない起死回生のチャンスが到来したので、今回は撮る予定。今回の買い物では前言撤回で菓子を購入していたため、次回水・土の買い物では「代替条件説」に拠ればもう買わない可能性がある。

当記事注: 「今回は撮る予定」というメモ書きの通りに実際に取った時刻は3月29日0時23分。また、「次回水・土の買い物では『代替条件説』に拠ればもう買わない可能性がある。」という可能性を示唆したが実際は、これ以降も数回以上このセットの買い物をしている。ある時より、なぜだかニンニクの臭いが感じられなくなった。なお、法然とホウネンエビに関係はない。



2015/03/30


3月30日2時半、母親は弟に「早く寝なさい」と声をかけた後、1Fリビングを占領。3時過ぎ、2回くしゃみ(声が大きい)が聞こえたあたりからテレビの音に耳を澄ます。何を観ているかと聞き耳を立てたわけだが、断続的に小声しか鳴らず、何も聞こえなくなってなお訝り、気付けば「ハッロ~チュ~リッヒィ」などと鳴り出す。

所詮テレビに俺が関心を持ったところでいいことなど無い、と当然の帰結を再度慨嘆した。魔の害毒たる囁きに耳を貸すまじ、という戒めの体験は数知れず。3時10分頃に笑い声。




2015年4月

2015/04/01


宗教とは往々にして相容れないものである。なぜ斯くも脆いことか。例え同じ祖を持つとも、遺された教えの解釈を巡り諍いあらば血で血を洗う争いすら絶えない。切に平和を願う信者とは裏腹に、権謀術数、名利を得んとする輩が蔓延る。歴史は血塗られ、現代は傷痕と火種を残す。

人類の意思を普く統一させることは叶わないのか。そこに、神などの威光を仰ぐ姿が重なる。偏狭にして無智の者が戯論に誑かされ顛倒しちゃった。

当記事注: 2015年7月になり、この3月末~4月始あたりで母・弟が伊良湖岬に1泊したことの記録を探す必要が出たが、どこにも記録が無い。なぜ当時の私は記録を取らなかったのか。当時の物的な調査で、2人1泊で約14000円と記憶する宿泊費がメモ書きされた紙を母親の部屋で見た。勝手なイメージだが、あの辺りのホテルの中でも10階建てほどの建物、即ち「伊良湖シーパーク&スパ 」に泊まったことと見ているが、そこだと恐らく1~3階の部屋の料金が近そうだ。



2015/04/07


断続的に悩まされる事例:下衆の勘繰りがたまたま結果的に当たる事があっても、推論は曖昧模糊にして卑俗なるパターン。結果が偶然当たって増長されるなら尚煩わしい。




2015/04/12


母親が、時間を置いて順次菓子を与える方式をいつからか行うようになったが、その発端は、弟が節度なく菓子を短時間で平らげるためだと見る。だが、私は弟と同じかそれ以下の量を、次の母親の買い物まで見据えて徐々に食べてゆく。このような歴然たる違いも見分けられない人物鑑定眼のなさに相変わらず呆れる。

この方式の問題点は、私に渡すべき菓子をも忘れてしまう所にある。例えば2ヶ月ほど前にセブンプレミアムの某菓子を、購入日より数日後に弟に渡したが、私にはそれから更に1週間経った頃に同じものが渡された。鈍麻な感覚で行えば無責任なことだろう。セブン系の店は以前にもメモ帳で書いたとおり、イオンに取って代わられて以降は滅多に行ってない以上、弟に渡されたそれと私に渡されたそれは同日中に購入したものと断定できる。

第一に、これらストックされた菓子がどこに隠されているか、その所在は今日まで未だ杳として知れず。4月12日の弟の菓子が置かれている場所に、私にはまだ渡されてない菓子があったのだが、今までこれらがどこに眠っていたかその場所を見つけたことがない。

※ここまでメモった後に最近のレシートを確認したところ、4月以降のものには当該商品が見当たらない。まさか今回のものは弟が自分で買ったものだというのだろうか?それを抜きにしても、過去にこういった母の不手際があったことは事実。



2015/04/15


久々の創造主関連「よろしゅうございますか?」

「なんかそれ冗長じゃない?『よろしいですか?』でよくない?」「いえ、それでもこれは貫きますよ。戦後になって『楽しいです』といった新文法が妥協されましたが、それ以前は『楽しゅうございます』こそが是とする公的な見解が支持されていたので、この点の峻別をしておきたいのです」「『おきたいのです』は『おきとうございます』にしないのか・・・。そういえば『おはようございます』と『お早いです』は一緒なんだよね」「さすがは創造主様、鋭くございますね」「鋭う」「それはウ音便にしなくてよござんす」

・・・・・これ書くに当たって前の検索ワード引き出そうとしたけど、Google検索履歴は稀にワードを消失させる問題があることを認知していたが、この件もやはり当該ワードが消えていた。無い物強請りとなるところだったが、当然ブラウザには履歴が残っている。3月半ばと4月2日の2件。「公的な見解」と欠いた部分・・・国語審議会。



2015/04/20

狂信気味であった小説は誤用も目立っていたが、例えば6章から「火急速やかに」という表現が頻出する。今までなかった表現が俄かに増えだすと、私は噴きだす。

また「須らく」も5章より著しく誤用されていた。「須らく」とは、古典に親しみあらば誰しも理解してそうな言葉で、大聖人の御書にも正しく用いられる。小説の人を除いても、この御書に精通してるH講員・S会員らが「すべからくすべからくの意味を誤っている(誤用例)」。往々にして「須らく」の意味を誤る人々。

仏法では「未だ得ざるを得たりと謂う」と、増上慢を表す言葉があるが、彼らも意義を得ずして慎重ならざる姿勢にて誤っている。検索できぬネットなき時代でも、御書のほか辞書等で理解が及ばなかったことを自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」。現代の人ではH講やS価よりも、K会の会長が正しく使えていた。「須らく清き源流に戻るべし」。

大聖人の御書で何を見てきたのか、教法だけでも学べればよいかもしれないが、文法などはぞんざいにされたのか。ならば「須らくその誤用を慎むべし」。一切衆生の親である大聖人様は、講員・会員に「誰がそんな文法を教えたか、そんな子に育てたつもりはない!」とお怒りあそばすことだろう。

大聖人の御書での用法は、やはり文中に「べし」やその活用形を後続させている。品詞分解なるものでは「すべく-ある」のク語法(恐らく・願わくは等)で成り立つ。今一度御書を見るに、べし系を伴わない例外、その場合は推量・意思助動詞の「ん」が綴られることも多い。某会員の例はこれにあてはまっていて、案外誤用ではないのか?助動詞「ん」は副詞付随の係助詞「か」の文や、「豈」、「争で」等の文末に付くことも多く、「須らく」にもこのような用法もあるのだろうか?あるいは、べし系を綴らずともべし系の意味合いが文に含むことが読者に伝われば省いてもよいのだろうか?



2015/04/24


4月24日11時頃、家に物が届いた。少し経ってリビングに出ると開けてある段ボール箱3つが目に付くが、一つはその中により小さい空の段ボール箱があるだけだった。残り二つは、雄飛航空なる送り主だとわかったが、中身は色々であるものの取り立てて言うものでない。

雄飛という名は日本に心当たりなく、一見すると台湾の方(高雄市の雄)かと思ったが、住所にある「川田谷」という地名でホンダエアポートのことだとわかる。前の家の頃は、現地で航空ショーっぽいものを見たと記憶している。ホンダは埼玉県内広域に各種拠点を配備しており、当飛行場のみならず、工場は2014年に寄居町内に新設され、研究拠点の子会社も和光市にあることなどが知られる。なのに本社移転は拒んでいる点で、一部からは「埼玉を都合のいい女みたいに扱いやがって!」と揶揄される。

ともかく、今更埼玉県内の飛行場に関連して何を始めるつもりなのか訝しいばかりである。ホンダエアポートに、父・上の弟が住む前の家の諜報を頼むつもりなのか?3月の俄かに動いたカフェ関連のような、壮大そうでも肩透かしの終わり方をするものなのか、それとも別段壮大なこともないのか。

また、段ボールに少し触れたり中身を見ただけで汚れ云々とわめくが、何を神経質になっているのか、最初は12時頃そんな話になったが、玄関先の植物いじっているあんたの手の状態を、室内にいる私の手と同一視するほど判断力が落ちたのか?

尚且つ18時過ぎに俺が起きて手洗い洗顔を軽く済ませてタオルもないしスウェットで拭うわけにもいかない上、起きたばかりの虚ろな意識で手を振って水気を飛ばすことも怠ったから、水滴が段ボール上に落ちたのだろう、それを見た母親が小声でグチグチと不満げであった。

そもそもリビングで人が通る場所に、そんな大事大事らしいものを勝手に横たわらせておくことが顛倒の様で、神経質の割に無神経だ。いざ俺のつま先がぶつかってズレたり、表面が僅かな水滴に濡れただけで中身が汚れるだ、返品がどうだ、あんたの俄かに終わる趣味を「仕事」と強弁するだとか、3月に輪をかけた悪辣さと思う。

母親の愚痴を小耳に挟んだときは黙ってやり過ごしたが、数分経た後に怒りが爆発、瞬間湯沸かし器ならぬ電気ケトルくらいか。2階にいた母親と一悶着あったが、誠意のない謝罪をして遁走したがっても、そんなものは求めてなく、「欲しい答えは『問題でないことに目くじらを立てる理由』の釈明だ」と告げて話を進ませた。

俄かに終わる趣味か何かに固執して、人を惑わせ、トラブルを起こさせる人格異常者だから父親と喧嘩しまくっていたという点には気付く由もない。今回も出費して誰かとの電話の必要を伴うような規模で展開していて、尚且つ今のところ趣味とは断定していないが、傍目には心地よい動向でない。



2015/04/25

後に画像を追加、2015年8月9日0時39分撮影の向かいT家おっさん

4月25日1時16分、家の外が赤い光に明るんだので様子を窺う。そこにはなんとタクシーが止まっており、「こんなところで休憩はないだろ~、運転手さんよ」と思いながら注視するに、後部座席に一応客らしき人影が感じられた。

かなり前に、近隣の家のお婆さんがタクシーを利用する様は見受けられたが、夜中はない。「どこの家の人だろうか」と更に見守ること1分弱、料金の支払いも済んだようでその人物は車から出てきた。なんと、見慣れた向かいのT家のおっさんだ。

この人は平日の朝6時~7時に私服+自動車で仕事へ出るようだが、不定期に休みがあるようで24日金曜日も昼などはおっさんの車が家にあるままだった。それがこの夜中にタクシーで帰宅とは。その足取りもフラフラと覚束ないもので、あまつさえヨロめいてその愛車に半身をぶつけた。私の父親にはこんなグデングデンな帰宅の有様など一度もなかった。

これは相当に酒が回っていること疑いなき様子だが、タクシーでどうにか料金を支払えた点を鑑みれば正常ラインなのか。そもそもタクシー利用となると、近所で捕まえるのでなく、豊橋の繁華街など一定距離のある場所から帰ってきたと考えられよう。休みの金曜日に悪い誘いで酩酊状態。このおっさんは子供といて楽しそうに見える感じではないが、それでクールにクールを徹さず、酔い潰れであられもない有様が露見した。

当記事注: 当記事を編集している4月28日火曜日と、昨日の月曜日は共に、昼間に至ってもおっさんの車が家に置かれたままだから、休みか。長いGWを取っているのだろうか。



2015/04/26


4月26日23時、洗面所のタオル利用を母親から問われて、私はぎこちないながら事実を告げた。以下略。
続きは関連動画説明文にある。
http://www.youtube.com/watch?v=ZmrDRjPaF0Q

動画のコメント欄にて4月27日朝にとった記録もある。
発生日時の記憶が曖昧な過去の事案の記録と見解である。



2015/04/27 21:53


4月27日16時過ぎに寝た。毎日21時にはやることがあるが、今日はやらないと決め、21時までに目が覚めてもそのまま眠り続けるという熟睡の方針を採ることにした。色々計画を立て通して十全の判断だと看做した故だ。私の計画は食事・風呂・今回は外出など見通して、綿密に組まれている。

まあ、4月27日は16時過ぎで寝るまでにも、予定におかしな障害が生じることは幾度とあったが、これも例に漏れなかったようだ。というのも、目が覚めたのは19時40分過ぎ(たったの3時間)で、原因は人生初の夢精であったが、オナニーさえ週に1~2回の俺がなぜ今更夢精なのだろうか。半勃起時にじわじわ出たようで、幸い出た直後に意識を叩き起こせたからパンツ内に勢力は留まり、スウェットが僅かに湿っぽくなっただけか?

それから20時半まで考え事をしたが、そのまま二度寝に入ることはなさそうだとした上で、新しい計画も固まったと思い、結局熟睡の計画はこれをもって完全に破綻した。そもそも計画だとかと甲斐甲斐しく毎日練っていても、今回みたくいつもの不運で敢え無く破綻するがね。

まず色々メモすることを目的にPCを起動したが、いつも起動時にチェックするソフト(起動のたびに調子が変わるソフト)が今回不調なので魔が差し、元々の計画で夜中に行う自販機買い物を「敢えて夜中を選ぶ必要はない、暇さえ惜しい」とばかりに早期決行した。直前で「敢えて今に強行する必要はない、メモはどうした」と思いとどまることもあったが、朝飯前の鍛錬だとして深く考えられず、意気揚々と決行した。リビングのテレビの音声と母親の笑い声が煩わしいから離れたいという理由もあった。

空は雲がほぼなく、真上に半月より欠け気味の月と疎らに少なめの星が浮かんでいた。目的地は、この時間だと人がうろつく傾向があったが生憎今日もそんな様子で、作業着の男が一人いて、呪われたように蠢いていた。私はすぐ所用を済ませるのだが・・・

結局免れたかった悪いケースが続き、あまつさえ幸か不幸か人生初経験まで。近頃ついていない自覚はあったが、これほどまで不幸続きでは、真面目に考える私ほど損するのではないかと、いつも通りの帰結で呆れてしまうのであった。

4月に入って我慢できない仮眠や、不愉快な短時間睡眠の頻度が激増しているが、4月27日だけでも1時50分~4時50分の約3時間睡眠があったばかりだった。休まる時間がいつまでも訪れない上に、4月はG+メモ書き等で書いた文字数が多いから過労状態であることも見られる。

途中、「朝飯前」などと綴って、気づけば最初の食事は22時半過ぎで、起きてから約4時間飲まず食わず。こんな中、予ての計画通り夜中(23時台)に再度自販機へ行った。

当記事注: 不可解な「人生初の夢精」であるが、性的な夢であっても夢精は今まで一度としてなかった。それでは今回、何でイッてしまったかといえば、とあるゲーム関連のキャラであったが、奇しくもそのキャラを別のきっかけ・・・最新のそのゲーム関連の動向(起床の27日19時より後に出回った情報だから、元々薄らと目に付いたことが夢で干渉したということではないといえる)で目にすることに。「予知夢」の類いは信じないが、人生では度々不思議な一致も起きる。この件もその範囲にあろう。



2015/04/29 17:34


4月29日17時過ぎ、家の前を通る人影に反応して、窓の外を覗き、視界を下げると人が数人、犬が数匹歩いてるように見えた。一番後ろの人間に牽かれる動物を見て、「こんな犬種あったか?」と思った瞬間、これはヤギだと思ったが、すぐ思考を切り替え、「毛の剃られた羊」だと分かった。

羊は小3ほどの女の子に牽かれていたが、女の子は隣家の植物の葉を毟って羊に与えていた。別の犬に攻撃されかけ、犬とは異なる軽やかさで身を引いたりもした。泣き声についても幾度と聞こえたが、明らかに羊の「メェ~」というヤギより軽い声であった。

一つ重大な疑問がある。いつもの疑問だが、ペットのような羊の散歩など、豊橋に住んで以来、当然初めて見たことである。家の前を通る者達は、いつも見たことのない人間ばかりであり、昨日であれば幼女数人組みが印象的だ。羊の散歩ともなれば初めてである。

年度末~春休み明けまでは変わった人の通りもよくあるが、例えば小型犬(全てバター犬・ダックスフンド)を5匹以上連れて散歩していたネェちゃんは何者だろうか。これも春休み期間に一度見たきりである。彼ら「一度見たきり」の人間はどこに住んでいて、どんな経緯で家の前を散歩したのであろうか。羊にしろ多頭小型犬にしろ、仮に遠方から来たとして、こんなところへ気軽に散歩するものではないはずだ。過去に数度は見てもおかしくないが、私は一度見るに始まり、それっきりで終わる。泡沫に過ぎる一期一会だと思った。

なお、T家動静だが、本日昭和の日は家族みな、朝からずっとお出かけの模様である。平日のT家は、母親あたりが断続的に家に帰ってまたどこかへ行く様子が見られる。昨日のT家は、御息女が自分の足で下校していた様子を、私にとって始めて見られた。さすがに二年生になったのだから、もうママンの車に迎えてもらって夕方までどこかで遊ぶみたいなことも卒業したらしい。

当記事注: 4月30日16時半過ぎに羊の散歩が見られたが、今回同伴の犬2匹の内に、前回羊を襲った犬らしいのはいなかった。前回と同じ方向へ散歩していたが、帰りは別ルートなのか?また、5月2日の朝には、29・30日の小3っぽい女の子でなく、低学年ほどの男の子が羊を牽いて犬・大人と共に散歩させていた。



2015/04/30 15:24 (非G+メモで、ただの記録)

4月30日15時20分過ぎ、下の弟の中学校の家庭訪問で教師ら3人が 件の家庭訪問が4月30日にあることを家のプリントなどから把握していたが、15時に彼らの来訪があったとき、例の「雄飛」関連の人間かと誤認した。

彼らは男性一人(大矢先生)女性二人という構成で、顔ぶれからまず特別支援学級の教師らだと気付くべきだった。彼らの来訪は中型の乗用車であったが、来訪の前に母親が唐突に車の位置をズラしていたことも、彼らの来訪に備え駐車スペースを未然に空けたという点に繋がる。「未然に」といえば、高圧ガス式のスプレーの音が頻りに鳴っていたこともこれに繋がる。当初、殺虫剤かと思っていたが、実際には芳香剤で、彼らの来訪直後(リビングに案内され約1分の遊び時間)に和室のふすまを空けてリビングの様子を窺ったところ、私の和室の窓を開放しているため空気の流れから息苦しささえ覚える芳香剤の香りがしたのだ。

ふすまを僅かに開けた隙間には、視線の先2mほどに白髪の男性、大矢先生である。姿勢としては、こちら側を正面に向いているのだが、私の視線に気づくことはなかった。そのままPCの前に戻る私であったが、それから母親と教師らの会話に耳を傾けることなく時間が過ぎる。我が家への来訪から実に約10分、実際の会話時間は7~8分という時間で家庭訪問が終わってしまった。

帰り際に改めて窓から彼らの容姿を確認した。女性二人が共に灰色(グレー)のスーツを着ていたことは最初に見知ったが、大矢先生は黒~濃い灰色のスーツである。実はその「最初」の時にチラっと男性の姿が見えても、大矢先生と気付かずもっと若い知らない人に見えたことが、「最初」の確認で家庭訪問の教師だと気付けなかった原因でもある。故にこの時は「雄飛」関連、あるいはどこかの職員あたりかと妙な恐怖心さえ懐いていた。

なお、本日は12時前に部屋のゴミ袋1つを捨てに出たが、この時間に敢えてゴミ捨てに繰り出すと夜~早朝のゴミ捨てと異なる気分が味わえる。ことにゴミ捨て場がゴミの山になった様子は新鮮・・・不衛生である。

この時間のゴミ捨てにはもう一つ理由があり、10時頃窓の外を過ぎ行く大勢の子供たち、これは4月28日もそうであったが、上級生が車道側を歩き、新入生の手を繋ぎ目的地へ歩くという遠足だと見られた。私が小1=大戸小学校の時代に別所沼公園へ二年生と共に遠足をしたものだ、と感慨に耽る。様子がおかしいことは、上級生と思しき者の学年が小4~小6バラバラに見えたこと。

ゴミ捨てを遂行してそのまま現地へ足を運ぶ。そこには総勢数百名と思しき子供らがいた。最寄の小学校はおろか、見慣れない校名からの一行も。現地を巡回するように練り歩きながら、子供たちの食事時を鑑賞した。現地入りして最初~半分ほどの時間に、携帯電話で写真を5枚撮った。大勢の子供らが園内で過ごしている様は、さながら前述の別所沼公園のアレ。食事中の学校のエリアでも、あちこちで忙しない子供の動きが見られた。どうやら、大人しく食事が出来ないようである。

この時期にもなると暖かいといえば暖かい気候だが、4月29日の豊橋はそれ以前の数日より涼しいようだったが、4月30日朝4時半に起きたときはやや寒く感じられた。この日の現地はクマバチのような大きめの蜂が1匹見られ、高木の枝から長く吊るされた蜘蛛の糸も散見され、不気味で、よくも遊んでいる子供らがこれに掛からないものだと思った。





その他(2015年9月追加)
期間的な意味や内容的な意味などから「その他」。
本来は載せないこととしていたが、2015年9月ワケあって一応は漏れなく載せようと考えた。

2月

26日
俺が研鑽・創作等してなければ、こう→「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しょうもん)とは云ふなり。

22日
召喚詠唱の下級派生「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」読点を休符と思って、あとは休みを挟まず矢継ぎ早に唱える。節が"7・9"・"7・5"という点に注目。この詠唱の用途→T家によく来る大人(全員女性)は延べ人数5人だが、どれほどが同一人物か掴みづらいため、これで想定人物の魂を集めて見分ける。ちょっと意味不明&いい加減

07日
御誡歌(ボツっぽい) 「ヤンゴトナシヤチエノモノ カロンジテオシハカリケル オソレハバカレハジシラズ クチニナダシソカレガミナ」

02日
110 BPMの3連符で「こーくぉでおーおたーがも~もとせめぇ~ と~おっくま~みえーしあ~だが~たき~ おぉめおぉめの~がしーてなーるもぉのかぁ~ く~びはーねせっしめぇ~たーてまっつれ~」今様形式に基づいて軍歌調に。



1月

29日
知識は悉く足枷になっている。何が人生の是であるのか。真実に至るには若きに過ぎる。猶予が許されるのならば、より識りゆく必要がある。荒波にも超然とする精神は悟りの境地だ。憂慮も悲愴も、他人の愉悦も全て「死という絶対の理」で以て片付けるのは中々に難しいようだった。

25日
「虚しかる 我が慈しみ 誰が為ぞ」懐疑、諦観。慈悲とは二次的に行われるもので、本来は生存記録こそが目的なはずだ。しかし現にこの事態に直面すると懐疑的になる。俗人への阿諛迎合とその結実が他者よりはるかに劣って利益となることもない。俗を憂えてこの道に入らんと望むが、同じ道の者に貶されたら容易く潰えてしまうのか。そんな時に「なおもうきとき いづちゆくらむ」との名句が耳朶を打つ。市井の歌人でありたい。

22日
いたづらに 命は死なん いづちへと・・・ 答えて曰く、寂光の園に身は帰るらむ、と。「いづくにか」や「いかでか」等の語尾「か」は、現代の文で疑問形をなす文末の「か」が副詞の接尾語となったもので、「いづくにかある」や「いかでか~べき」は現代からすれば疑問形に見えないが、この法則上疑問形になっている。また、「何をか言わんや」という俗語があるが、この法則が適合するものの、「か」と末尾の「や」で重複表現である。しかも「言わんや」では「況や」と混同しやすく、こんな語を作った人間(自体が混同していたのかもしれない)は何様か。「誰をか証人として糾さん(誰を証人として糺すのだろうか)」という御書のフレーズのように、末尾に「や」をつける必要はなく、過剰だ。よって「何をか言わん」で事足りる。「すべからく」の誤用等、半可通で恥をかく言葉。「何をか」は「いかでか」同様、御書では「~べき」を後続の文節に付随させることも多い。ちなみに「言わん・糾さん」とは本来「言はむ・糾さむ」で、已然形+助動詞の「む」が「ん」と変化(撥音便)したものだ。この「む」は「だろう」と推量を付加する。

20日
未だ悲愁が続いて、創作関係を懈怠しつつあるので一首。「どしがたく かいしがたかる うきよにて ゆめをもたはば あぶくのごとし」 寝る前の耽美俳句「のぞみしは ながぬばたまの こいしかみ」

19日
夕日の光、家屋の壁面に映ゆと雖も、茜の空は拝みえること実に多からぬと候。このこと夜半に思いき。

16日
「みのらずに からゆわかばは またもゆる つよきみさおを かかえのぶらむ」今日作った歌・・・今日でなくても。

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